還暦を機に始めた撮影トレッキングに行ったネパールヒマラヤ・パキスタンカラコルム・ヨーロッパアルプス・日本アルプスなどの山岳写真のほか内外の風景写真を掲載しています。


by chusan8611
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(33)私の8000m峰10座

Chusanの写真ブロブ《感動発信!感動共有!》
NO33:私の8000m峰10座

2008年6月上旬の朝日新聞夕刊に「8000m峰 制覇へ復活」と題した記事が掲載され、世界で14座ある8千メートルの日本人初完登を目指す登山家(竹内洋岳さん)の挑戦記事が紹介されていました。

8000m峰14座はヒマラヤに集中し、ネパール、中国、パキスタン、インドの4カ国(国境を含む)に聳えています。この14座完登は世界でも14人しか成し遂げていない困難な記録です。アジアでは韓国の3人が成功していますが、日本人は10座の壁に阻まれています。登山家《竹内洋岳さん》は日本人最多タイ9座の記録を保持していますが、今夏、10座目のガッシャーブルム2峰(8035m・標高13番目)に挑戦するそうです。

8000m峰14座は、まさに、《Top of the World》です。その頂上は世界中で朝日が一番早く到達し、一番遅くまで夕日に照らされつづけます。

さて、その8000m峰14座は、
(第1位)*エヴェレスト(8848m):ネパール・中国国境:初登頂・1953年・イギリス隊
(第2位) K2(8611m):パキスタン・中国国境:初登頂・1954年・イタリア隊
(第3位)*カンチェンジュンガ(8586m):ネパール・インド国境:初登頂・1955年・イギリス隊
(第4位)*ローツェ(8516m):ネパール:初登頂・1956年・スイス隊
(第5位)*マカルー(8463m):ネパール:初登頂・1955年・フランス隊
(第6位)*チョ・オユー(8201m):ネパール・中国国境:初登頂・1954年・オーストリア隊
(第7位)*ダウラギリⅠ峰(8167m):ネパール:初登頂・1960年・スイス隊
(第8位)*マナスル(8163m):ネパール:初登頂・1956年・日本隊
(第9位)*ナンガ・パルバット(8126m):パキスタン:初登頂・1953年・ドイツ&オーストリア隊
(第10位)*アンナプルナⅠ峰(8091m):ネパール:初登頂・1950年・フランス隊
(第11位) ガッシャーブルムⅠ峰(8068m):パキスタン・中国国境:初登頂・1958年・アメリカ隊
(第12位) ブロード・ピーク(8051m):パキスタン・中国国境:初登頂・1957年・オーストリア隊
(第13位) ガッシャーブルムⅡ峰(8035m):パキスタン・中国国境:初登頂・1956年・オーストリア隊
(第14位)*シシャパンマ(8027m):中国:初登頂・1964年・中国隊
の14座です(*印は私が撮影済みの8000m峰10座)。

ヒマラヤの8000峰14座への挑戦は、まさに国の名誉と国威をかけた挑戦であり、多大の犠牲の結果、《初登頂》という栄冠を勝ち得たのです。国の名誉をかけ、どうしても初登頂の栄冠をかちとりたいと特定の8000m峰へ登山隊を何回も送りこみ、他国に先んじて《初登頂》を勝ち得た国があります。例えば、「エヴェレストとイギリス」や「K2とアメリカ」さらに「ナンガパルバットとドイツ」などです。これらの国は何度となく執念の登山隊を送り込み栄冠を手にしています。

8000m14座のうち、日本隊は1956年にマナスル峰に初登頂し、日本人によって登られた最初で唯一の8000m峰となりました。隊長は《槇有恒さん》でしたが、私はマナスル登頂報告会を聞きに行ったり、登頂記や写真集を読み漁りました。私にとっての思い出の8000m峰は、1950年にフランス隊が初登頂した《アンナプルナⅠ峰》です。人類初の8000m峰登頂に成功し、その登頂記「処女峰アンナプルナ」を出版しましたが、その登頂記を読みあさり、ヒマラヤへの関心が一挙に深まって行きました。それ以来、ヒマラヤの文献や写真集を買い集めています。ヒマラヤの8000m峰は1950年アンナプルナⅠ峰初登頂からわずか14年ですべての山が登頂されて行きました。それ以降は大岩壁や最も困難なルートを登頂する《バリエーション・ルート》を求めた登頂や厳冬期・無酸素登頂など、より困難な登頂が脚光を浴びるようになってきています。

ところで、1997年からヒマラヤ・トレッキングをしていますが、8000m峰・14座のうち10座は撮影済みです(*印の山)。未撮影の4座は、いずれもパキスタンにある山です。この4座の撮影地バルトロ氷河には何度か計画を立てたのですが、パキスタンの大地震や紛争などで入山が出来ませんでした。いずれ機会を見て挑戦したいと思っています。出来れば《喜寿》にはバルトロ氷河でK2を眺めながら祝いたいなとも思っています(還暦からヒマラヤ・トッレキングをはじめ、古希はチベットの山奥で迎えました)。
(14座を自分のカメラに収めることは私にとっての《大きな夢》でもあります。そんなことに想いを巡らせながら新聞記事を読んでいましたが、皆さんに《私のヒマラヤ10座》をブログ投稿してみることにしました。)

             2008-06-20  加藤忠一記

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01-1*エヴェレスト/Mt・Everest 8848m:撮影地:ネパール・シャンボチェ3800m*ご存じの世界最高峰である。この山は、ネパールと中国の国境に位置しているが、ネパール名では「サガルマータ:Sagarmatha」、中国名(チベット名)は「チョモランマ:Chomolangma」と呼ばれている。一般的には英名の「エヴェレスト:
Mt・Everest」であるが、近代的な測量が行われる以前は、三角測量の番号名称「ピーク15」と呼ばれていた。
エヴェレストの名前は、1865年にエヴェレスト測量に貢献したイギリスのインド測量局長官:ジョージ・エヴェレストの名前をとって正式な名称として採用されたものである。この山は一般的にはネパール側から登頂されるが、最近はチベット側からの登頂も多く見られる。最近では《三浦雄一郎》が75歳でチベット側からの「チョモランマ」登頂を狙ったが、五輪旗騒動で断念し、ネパール側からの再登頂成功となったことが話題となった。この写真はネパール側の一般的ルート「エヴェレスト街道」のシャンボチェ(3800m)から撮影したものであるが、この辺からでは、前山のヌプツェ(Nuptse 7855m)に遮られ、エヴェレストの上半分しか見ることが出来ない。

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01-2*チョモランマ/Chomolangma 8848m:撮影地:中国・チベット・チョモランマBC5200m*この写真は、チベット側のチョモランマ・ベースキャンプ(5200m)から撮影したものである。チベット側のチョモランマは前山に「チャンツェ・Changtse7580m」が立ちはだかるものの、チョモランマのほぼ全容を見ることが出来る。夜明け前からベースキャンプを見下ろす岩山に登って撮影したが、寒さと強風で凍傷になりかけて撮った思い出の一枚である。最初に頂上にポツンと朝光が差し込み、それが段々と北東綾に下がり、前山のチャンツェの東壁が真っ赤に染まって行く。チョモランマ北壁(写真頂上直下の大岩壁)には未だ光が差し込まない。

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02-1*カンチェンジュンガ/Kangchenjunga 8586m:撮影地:ネパール・バティバラ3200m*カンチェンジュンガは、ネパールとインド・シッキムの国境稜線に位置する世界第三の高峰である。エヴェレストが正式に測量されるまでの1850年頃までには世界の最高峰ではないかと考えられていた。実に堂々とした山容である。夜明け前から頂上付近に形の良い雲が出始め、そこへ朝日が強烈に差し込んで来て赤く染め上げて行った。

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02-2*カンチェンジュンガ/Kangchenjunga 8586m:撮影地:ネパール・バティバラ3200m*8000m峰の《朝焼けドラマ》は永くて5分~6分程度で終わってしまう。それが終わると次第に白っぽく浮かび上がってくることがある。この朝のカンチェンジュンガはいろんな表情を見せてくれた。丁度、頂上付近に笠雲がかかりはじめ、稜線左に見える怪峰・ジャヌー(Jannu 7710m)にも光が差し込みはじめた。

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03-1*ローツェ/Lhotse 8516m:撮影地:ネパール・シャンボチェ3800m*この山はエヴェレストのすぐ南に位置していることから《エヴェレスト南峰》などとも言われている。撮影地のシャンボチェから見ると形の整った山容である。頂上直下を右から左に走っている《イエローバンド・黄色い化石の層》が見事である。イエローバンドはエヴェレスト南西壁にも見られるが、ヒマラヤがかって海の底にあったあった時の証左と言われている。
この層から発見される海の生物の化石は、ヒマラヤ山脈が海底の地殻であったことを物語っていると言われている。
写真はローツェ南面で中央が主峰(8516m)で右がローツェ・シャール(8400m)である。

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03-2*ローツェ/Lhotse 8516m:撮影地:ネパール・シャンボチェ3800m*ローツェは世界第四位の高峰であるが、すぐそばに《エヴェレスト》という巨人が立っていて、それに仕える謙虚な一峰という感じが、この峰を派手な英雄にしていないと言われている。しかし、ローツェの南壁(写真中央)は標高差3000mの大岩壁で、ヒマラヤ最大の壁の一つである。

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04-1*マカルー/Makalu 8463m:撮影地:ネパール・バティバラ3200m*この山はエヴェレスト山群の東端に位置し、世界第五位の8000m峰である。写真はネパール・バティバラの丘で撮影したものであるが、この撮影地に入山してから天気に恵まれず、テント撤収の朝、最後のチャンスに恵まれた時のショットである。
マカルー頂上に一条の朝光が差し込み、それが真っ赤に染まりはじめた一瞬を捉えた一枚で、《地球上で最初に光が差し込んでくるのはヒマラヤから》を実感させてくれた。

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04-2*マカルー/Makalu 8463m:撮影地:ネパール・バティバラ3200m*頂上がポツンと赤く染まってから(これを《曙光》という)、すぐに頂上付近に一条の雲が走り込み、それが赤く染まりはじめた。私のお気に入りの一枚である。

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05-1*チョ・オユー/Cho Oyu 8201m:撮影地:中国・チベット・パンラ峠5100m*チョ・オユーはネパールと中国チベットとの国境稜線にある世界第六位の8000m峰である。この写真はチベット側のパンラ峠(5200m)から撮影した時の一枚である。チョモランマBCを午前三時に出発し、パンラ峠に到着し夜明けのヒマラヤ山脈の日の出を待つ。この峠からのヒマラヤ展望は圧巻で、エヴェレスト山群の7000峰~8000m峰が一望できる。8000m峰は左に《マカルー・8463m・第五位》、中央左に《ローツエ・8516m・第四位》、中央に《チョモランマ・8848m・第一位》が聳え、一番右にこのチョ・オユー(8201m・第六位)が望見出来る。チョ・オユーの左には私の大好きな《ギャチュンカン・Gyachung Kang・7952m》が見える。この日のパンラ峠は快晴に恵まれ、黎明時から山稜を染めて行く光の変化を捉える事が出来た。この一枚は赫光に染まって行くチョ・オユーである。

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05-2*チョ・オユー/Cho Oyu 8201m:撮影地:中国・チベット・パンラ峠5100m*パンラ峠での《光の競演》は5分程度で終わり、太陽が昇ってしまうと稜線と岩肌は白く染まって行く。

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06-1*ダウラギリⅠ峰/DhaulagiriⅠ 8167m:撮影地:ネパール・ラルジュン2800m*ダウラギリ峰撮影はポカラから小型飛行機にてジョムソンに入り、カリガンダキ川を下りながらの撮影となった。11月のカリガンダキ川は、午前中は季節風が吹きつけ、強風化のトレッキングとなった。カリガンダキ川を下る途中、ツクチェ(2600m)にてテント泊となり、翌朝、出発して間もなく、朝の川原でダウラギリⅠ峰(8167m・第七位)の東面を撮影する。カリガンダキ川越しに聳える主峰の頂上付近はさかんに雪煙を上げていた。

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06-2*ダウラギリⅠ峰/DhaulagiriⅠ 8167m:撮影地:ネパール・ラルジュン2800m*カリガンダキ川はネパールとチベットを結ぶ《塩の交易路》となっており、河原をさかんにロバ隊が行き交っていた。チベット行きは《木材や家畜飼料》、ネパール行きは《岩塩》を運搬していた。ここラルジュン(2800m)では3日ほど滞在し、カリガンダキ川越しのダウラギリを撮影し続けた。天候に恵まれ、早朝からの光の変化を思う存分撮り続けることが出来た。このショットは主峰に光が差し込み、それが段々下方に差しこんで行くときの一枚である。

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07-1*マナスル/Manaslu 8163m:撮影地:ネパール・バーラポカリ3100m*マナスル(Manaslu 8163m)・ピーク29(Peak29 7871m)・ヒマール・チュリ(Himal Chuli 7893m)は《マナスル三山》と言われているが、この三山はいずれも日本人が初登頂し《日本人のマナスル三山》として有名である。このマナスルはバーラポカリ尾根(3100m)から夕方に撮影したものであるが、下から湧き上がってくる雲間に一瞬姿を見せた瞬間を捉えてみた。

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07-2*マナスル/Manaslu 8163m:撮影地:ネパール・バーラポカリ3100m*バーラポカリとは《たくさんの湖》という意味だそうであるが、尾根のあちこちに水たまりが散在している。尾根を多少下ると《水場》もありキャンプ地として適地である。この尾根からはマナスル三山の左に《ガネッシュ・ヒマール山群》や《アンナプルナ山群の一部、マチャプチャレ峰》なども見ることが出来る。この写真は昼間のマナスルである。

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08-1*ナンガ・パルバット/Nanga Parbat 8126m:撮影地:パキスタン・メルヘン・ヴィーゼ3200m*この山はパキスタン北東部、南インドとの休戦ライン近くに位置する。パキスタン・イスラマバードからインダス川を三日間ほど遡って行かなければならない。ナンガパルバットとは奇妙な名前であるが、これは《サンスクリット語》で《裸の山》という意味である。ドイツ隊が挑戦し続けた山で、私が入山したキャンプ地も《メルヘンヴィーゼ》という地名がつけられている。ここメルヘンヴィーゼからはラキオット氷河が大きく蛇行して迫り、その稜線には幾重にも重なり合った山稜の彼方に主峰を望見出来る。

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08-2*ナンガ・パルバット/Nanga Parbat 8126m:撮影地:パキスタン・メルヘン・ヴィーゼ3200m*ナンガパルバットは、大氷壁をいくつも持つ《魔の山》で、ヒマラヤでも遭難者が最も多い山として知られている。写真左中央奥が主峰(8126m)である。

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09-1*アンナプルナⅠ峰/AnnapurnaitiⅠ 8091m:撮影地:ネパール・プーンヒル3500m*ダウラギリⅠ峰を撮影し、ラルジュンからポカラへヘリコプターで帰る途中、プーンヒル上空を通過する。パイロットはヒマラヤへ何度も一緒だった顔見知りであり、快晴でもあり、プーンヒルへの着陸を頼んだところ、チップが効を奏したのか、上空の気流条件がよければOKとの快諾を得た。幸い多少風があったが無事着陸し、アンナプルナ連峰、ダウラギリ連峰の撮影ができた。プーンヒル(3500m)はアンナプルナ・ダウラギリの展望台で、とくにアンナプルナⅠ峰の眺望がすばらしい。

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09-2*アンナプルナⅠ峰/AnnapurnaitiⅠ 8091m:撮影地:ネパール・プーンヒル3500m*アンナプルナⅠ峰はポカラの北北西50kmにあるアンナプルナ山群の最高峰である。この山は、ヒマラヤの名峰の一つであり、1950年のフランス隊の初登頂によって、ネパール・ヒマラヤの登山が始まり、ヒマラヤ黄金時代への幕開けとなった高峰である。初登頂したフランス隊のモーリス・エリゾーグ隊長が著した《処女峰アンナプルナ》の記述には、凍傷にかかった指を一本一本と切断しながらの壮絶な下山をしたと書かれているが、それはこの稜線の何処あたりであろうか。

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10-1*シシャパンマ/Shisha Pangma  8027m:撮影地:中国・チベット・ヤルレンシュン峠5200m*この山は中国・チベット領内にある唯一の8000m峰である。この高峰への撮影は、チョモランマ撮影の帰途、中国・ネパール国境付近の《ヤルレン・シュン峠5200m》に立ち寄った時である。この峠は中国・ネパール友好道路上にありネパール・カトマンズも近い。早朝に峠に着いたが寒さと高山病に悩まされながらの撮影であった。快晴に恵まれ、シシャパンマ峰頂上付近の空が紫からピンクに変化し、曙光が過ぎ去ると山肌が《赫光》に染め上げられて行った。あのときの《赫光》はまだ脳裏に焼き付いている。
  
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10-2*シシャパンマ/Shisha Pangma  8027m:撮影地:中国・チベット自治区・佩枯錯湖4800m*  
チベットが長い間《鎖国政策》をとっていた関係で、この山の探検・登山の歴史は浅く、山の位置も1952年になって「チベット領内(中国)」にあることが正式に判明した。1979年になり中国政府が領内の高峰を登山解禁してから外国登山隊が入山できるようになった。この写真は2006年5月にチャンタン高原を横断し、カイラスまでトレッキングした時のショットで、10-1写真のシシャパンマ右側を迂回して佩枯錯湖4800mに入った時のワンショットであるが、シシャパンマ右側の峠を越えカイラスまで《遠く、苦しい山旅》が始まった。シシャパンマの山麓は雪と見渡す限りの大砂漠に覆われ、そのスケールの大きさには圧倒された。    《完》
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by chusan8611 | 2008-06-20 13:31 | 世界の山岳風景