還暦を機に始めた撮影トレッキングに行ったネパールヒマラヤ・パキスタンカラコルム・ヨーロッパアルプス・日本アルプスなどの山岳写真のほか内外の風景写真を掲載しています。


by chusan8611
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カテゴリ:ヒマラヤ・トレッキング( 19 )

CHUSANの写真ブログ《 感動発信! 感動共有! 》
NO59:バトゥーラ氷河紀行2002

ネパール・ヒマラヤの撮影トレッキングをしていて、遥か彼方に氷河を望見し、いつの日か氷河を真近かに見てみたいという願望を抱いていました。山岳写真家《藤田弘基》先生の星明りのヒマラヤや氷河の写真集等を見ても、氷河や星明りのヒマラヤを撮影したいという思いは強まるばかりでした。その機会が2002年に急に訪れました。山岳写真家《藤田弘基》先生が同行する写真撮影ツアーをヒマラヤ観光が開催しました。長年の夢を実現すべく、早速に参加し、氷河を歩き、星空のヒマラヤも撮影することができました。本ブログはその時のトレッキングの模様を撮影した作品ですが、雄大なカラコルムの山岳風景をご高覧下さい。

2009-11-20  加藤忠一記

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01*マンチェラ・バザールの露天商:パキスタン・ラワルビンディにて*バトゥーラ氷河までの道は、ワラルビンディからギルギッド・フンザまでは、ディラン・ラパポシやナンガパルバットへのルートと同じである。イスラマバード国際空港に到着後、ラワルビンディで一泊し、ここからスタートとなる。途中のマンチェラ・バザールに立ち寄り、肉や野菜、果物などを調達する。飲み物も買い込む。

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02*マンチェラ・バザールの果物屋:パキスタン・ラワルビンディにて*この露天商のおじさんは気前よく試食させてくれた。この時期(8月)はアンズや桃、ザクロなどが美味で値段も安い。

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03*マンチェラ・バザールの香辛料店:パキスタン・ラワルビンディにて:*ここみたいな砂漠気候帯で暮らすには、スパイスの摂取が必要なのであろうか。色んなスパイスが売られていた。

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04*カラコルム・ハイウェイのトラック野郎:パキスタン・チラー行スにて*カラコルム・ハイウェイはパキスタン~中国を結ぶ幹線道路で、荷物を大量に積載しトラックが行き来している。中国のトラックは地味であるが、パキスタンのトラックは派手な飾り付けが目につく。

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05*:仏塔の線刻画:パキスタン・チラースにて*インダス川畔のチラースで一泊したが、付近に仏教時代の線刻画があり撮影に行く。チラースの線刻画はディラン・ラパポシやナンガパルバットへの行き帰りにも撮影したが、いろんな線刻画を探し出し撮影する。

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06*トポップダン峰見ゆ:パキスタン・パスー村入り口にて*フンザを過ぎてしばらくするとフンザ川越しに
奇峰・トポップ・ダン峰が見えてくる。

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07*ウルタル峰7388m:パキスタン・フンザにて*フンザ郊外には雄峰《ウルタル7388m》が見えてくる。日本人登山家・長谷川恒夫さん(恒さんの愛称で登山界では親しまれ、ヨーロパアルプスの三大北壁の冬季単独初登攀者で知られる)が1990年にこのウルタルⅢ峰南西壁を初登頂したが、1991年にウルタルⅡ峰で雪崩に巻き込まれ遭難したのは有名な話である。

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08*パキスタン・中国国境:パキスタン・スストにて*ここはパキスタン:中国の国境検問所である。国境といっても緩衝地帯であり、いったん出国しても、クンジュラブ峠に行って帰ってくれば、パキスタン《出国》にはならないらしい。

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09*吹雪のクンジュラブ峠にて:パキスタン・クンジュラブ峠4700mにて*クンジュラブ峠は4700mの高地であり、高地順応のため行ったが、到着時、峠は夏とはいえ吹雪いており視界不良であった。

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10*中パ国境風景:パキスタン・クンジュラブ峠4700mにて*吹雪も一時間ほどで収まり、その後晴れてきた。画面中央右白い塔付近が国境線である。ここからパキスタン側は左側通行、中国側は右側通行となりややこしい。

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11*高度順応と昼食会:パキスタン・クンジュラブ峠4700mにて*高度順応のためゆっくりと付近を歩きながら撮影する。氷河も見える場所で昼食会となる。

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12*お花畑:パキスタン・クンジュラブ峠4700mにて*この峠の夏は高山植物が満開で、キクの仲間やエーデルエワイスが群生していた。

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13*高山植物・リンドウの仲間:パキスタン・クンジュラブ峠4700mにて*紫色のリンドウの仲間を発見、早速カメラに収める。

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14*パスー村のテント場:パキスタン・パスー2600mにて*クンジュラブ峠4700mでの高度順応から帰ってきて、パスー村にて一泊する。パスー川に出てみるとトポップ・ダン峰がすぐ側に聳え立っている。

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15*ポーターへの荷物仕分け作業:パキスタン・パスー2600mにて*16*テント場では、明日から出発する荷物の仕分け作業が行われ、ポーターたちが真剣な眼差しで取り囲んでいた。

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16*夕照のトポップ・ダン峰6160m:パキスタン・パスー2600mにて*ゆうがた、パスー川畔に出てみると、折からの夕陽を浴び、トポップ・ダン峰の岩峰が輝いていた。トポップ・ダンは柔らかい岩で構成され、そのため雨風に浸食されて針峰となっている。

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17*暮れ行くシスパー峰7611m:パキスタン・パスー氷河入り口2700mにて*夕食後、ガイドが盛んにパスー氷河入り口のシスパー峰7611mが夕日に燃えるかもしれないと薦めるので出かけてみた。燃えることはなかったが折からの逆光に名峰《ヒスパー峰》が浮かび上がっていた。

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18*ポーターたちの昼食:パキスタン・ユンズ3100mにて*午後遅くユンズに到着。早速に昼食となる。ポーターたちは、焼きパン《ナン》と紅茶の昼食である。私もすすめられて《ナン》をたべたが、塩味と香ばしさで大変に美味であった。

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19*ユンズのテント場:パキスタン・ユンズ3100mにて*この日は予定では《ヤシパットキャンプ地》まで行く予定であったが、パスー村からの登りが意外に強く時間のかかったことと、この先の氷河横断を偵察の結果、半日で通過は無理との結論で、急遽、ユンズでテント泊にした。

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20*バトゥーラ氷河とトポップダン峰:パキスタン・ユンズ3100mにて*パスー村で見たトポップ・ダン峰とやや趣が違うが奇峰である。テント場ユンズ前の氷河は大きな石が散在し、氷河舌端(先端)をうかがわせる。

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21*ヤシパットのテント場目指して:パキスタン・ユンズ3100mにて*氷河の淵は断崖絶壁で壁の高度は1000mほどもあるという。午後暖かくなると盛んに30cmほどの石が崩落してくるという。この危険地帯を通過するのは午前中の早い時間帯で、しかも歩く間隔は20~30mほど開けるという。ガイドに聞くと、「万一、石が当たってもケガや死者が一人で済むからだよ!」と言われた。

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22*青白く光るクレパス:パキスタン・ユンズ3100mにて*氷河は大変にデコボコし、アップダウンがあるので、ここを通過するのはつらい。登り切ったかと思うと下りになる。その繰り返しである。

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23*氷河に咲くネギの仲間:パキスタン・ユンズ3200mにて*この植物も乾燥に強いのであろう。ネギの仲間みたいであるが表情が明るく力強い。

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24*氷河に咲くバラの仲間:パキスタン・ユンズ3200mにて*ばらの仲間も砂地の乾燥に強い植物である。北海道によく咲いている《ハマナス》の花弁にソックリである。

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25*氷河に咲くキクの仲間:パキスタン・ユンズ3200mにて*岩砂地に真っ黄色なきくの仲間の群生を見つけた。乾燥に耐え生き生きと育っている。

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26*氷河に咲くラベンダーの仲間:パキスタン・ユンズ3200mにて*砂漠のような環境のためか、乾燥に耐えられる植物が多い。ラベンダーの原種のような紫色の植物も多い。手でもんで臭いを嗅いでみるとかすかにラベンダーの香りがした。

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27*ヤシパットのテント場:パキスタン・ヤシパット3300mにて*ここのテント場では、ヤクや牛の放牧地のロッジと同居となる。少々臭いが平坦で砂地のためてんとの寝心地は大変良い。色とりどりの一人用のテントに夕陽が差し込み、ポーターが入れてくれた温かい紅茶を飲みながらひと時を過ごす。至福の時間が過ぎ去って行く。

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28*バトゥーラ氷河のクレパス群:パキスタン・ヤシパット3300mにて*ヤシパット・テント場の前の氷河は、クレパスがいたるところで口をあけ、午後になるとあちこちで崩落音が聞こえてくる。

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29*バトゥーラ氷河を遡る:パキスタン・ユンズ3300mにて*氷河といっても、周りは岩砂地で白い氷河は上流5000mくらいまで行かないと見られない。3000m~4000m付近はモレーンという左右の斜面から流れ込んだ砂の堆積地で、《ブラック・グレイシャー Black Glacier》である。この黒い氷河は午前中は凍結しているが、午後暖かくなると溶けだし大きな川となるので、通過は午前中に限られるようだ。 

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30*氷河上を行くヤク軍団:パキスタン・ユンズ3300mにて*プットマハル付近にはヤクの放牧地があり、下の草原で放し飼いになっていたヤクたちが放牧地に帰ってくる。

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31*プットマハルのキャンプ地:パキスタン・プットマハル3400mにて*プットマハルのテント場は、先発のポーターたちが個人テント・食堂テント・トイレテントなどを設営してくれて、われわれが到着すれば、食堂テントで温かい紅茶を飲ませてくれる。

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32*プットマハルの牧童小屋:パキスタン・プットマハル3400mにて*われわれはテントで寝泊まりするが、ポーターたちは付近の《牧童小屋》に寝る。小屋といっても、丸太と石で囲った粗末な囲い小屋で、隙間だらけだから夜は相当に寒い。彼らはこの小屋に薄い毛布一枚を掛けて寝る(写真の小屋参照)。

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33*曙光のバトゥーラⅠ峰7795mにて:パキスタン・プットマハル3400mにて*プットマハルのキャンプ場には滞在中、連日の好天に恵まれ、朝焼けのバトゥーラ峰をあきるほど?撮影した。とくに、曙光が差し込む前の色合いと曙光の瞬間がすばらしい。

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34*昼間のバトゥーラⅠ峰7795m(中央)とⅡ峰7762m(右):パキスタン・プットマハル3400mにて*バトゥーラ峰の朝焼けを撮影すれば、あとはキャンプ地辺りの被写体を求めて、ブラブラして時を過ごす。時々、バトゥーラ峰の上空に目をやり、飛来する雲の形を眺めながら、これぞという雲が現れたらシャッターを押す。

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35*星明りのバトゥーラ連峰:パキスタン・プットマハル3400mにて*この辺は午後9時を過ぎても明るく、星撮影は午後10時過ぎからとなる。明るいうちにカメラのセットをしておく。とくに、広角レンズの水平や、星空と山並みとのバランスなどに気をつける。カメラのセットが終われば後は暗くなるのを待つだけなので、テントの中で休んだり、焚き火(陽が落ちると極端に寒くなる)を囲んで懇談したりして過ごす。星空撮影は40分・50分・60分と三回撮るので、撮影終了は午前様になってしまう。

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36*朝の無名峰:パキスタン・プットマハル3400mにて*バトゥーラ峰は各連峰もすばらしいが、私は、むしろ前山の《無名峰》に惹かれた。無名峰と言っても6000m級の雄峰で、山容が雄大で、飛来する雲とのバランスがすばらしい。

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37*夕暮れの無名峰:パキスタン・プットマハル3400mにて*バトゥーラ峰は落陽の角度から朝焼けはすばらしいが、夕焼けは期待できない。それに比べ、無名峰は夕焼け空をバックにいろんな表情を見せてくれた。

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38*私のスナップ:パキスタン・ユンズ3200mにて*今回の撮影行はバトゥーラ氷河に入山する前に、クンジュラブ峠(4700m)にて高度順応したためか、高山病からは解放され、天候にも恵まれて順調な撮影が出来た。とくに、朝焼けのバトゥーラ峰や星空のバトゥーラ峰等の撮影は圧巻であった。《星撮影》は専門家:藤田弘基先生の時間をかけた実地指導を受け、何枚かの作品を作ることが出来た。また、大きなカメラザックをイヤな顔をせずに背負ってくれたポーターたちに感謝したい。 《完》
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by chusan8611 | 2009-11-19 22:22 | ヒマラヤ・トレッキング
CHUSANの写真ブログ《 感動発信! 感動共有! 》
NO58:ナンガパルバット・トレッキング紀行2001

私が《ナンガパルバット》というヒマラヤの巨人を知ったのは、深田久弥著「ヒマラヤの高峰・第三巻」を読んだときでした。深田久弥はナンガパルバットにつき「ナンガパルバットは高さ世界第九位であるが、古くから有名なことでは、エヴェレスト、カンチェンジュンガに比肩する。ヒマラヤ登山史上、最も劇的な波乱を生んだ山で、七回の企ての後ついに登頂されたが、その間に実に31人の人命を失った。一時は「魔の山」と呼ばれて、勇敢なシェルパさえその登山隊に加わることを躊躇したくらいであった。・・・」と述べています。

その後、登頂記や人類初の8000m峰完全単独行に成功したラインホルト・メスナーの「ナンガ・パルバート単独行」を読み、ますますこの巨峰を撮影したいと思い続けました。それから、《千葉工大ナンガ・パルバット登山隊》坂井広志隊長(私の知人であり、登頂記の著者)の登頂記を読み、ますますナンガパルバットへの撮影意欲が高まりました。

2001にヒマラヤ観光のツアーでその希望を叶えることが出来ました。高峰《ナンガパルバット》の作品はH/Pなどで紹介済みであり、本ブログでは、トレッキングの様子を中心に投稿しますのでご高覧下さい。
2009-11-20  加藤忠一記

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01*棚田風景1:パキスタン・ターコットにて*ナンガパルバットへのルートは、インダス川沿いをラワルビンディから《ラキオット》まで遡る。途中の平野は、稲作が行われており小さな棚田が見られた。

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02*棚田風景2:パキスタン・ターコットにて*ポプラの木々が見えなければ、日本の米どころの棚田にそっくりである。こんな棚田風景がしばらく続いていた。

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03*洗濯風景:パキスタン・ターコットにて*インダス川の小さな支流を俯瞰すると、川辺で洗濯する人々が見え、河原には色とりどりの洗濯ものが干されていた。

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04*飾り付け自転車:パキスタン・ターコットにて*パキスタンの飾り付けトラック・乗合バスには驚かされるが、少年の乗る自転車まで飾り付けられているのにはビックリである。

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05*インダス川を遡る:パキスタン・ペシャム郊外にて*ナンガパルバットへは、カラコルム・ハイウェイを途中二泊しながら《ラキオット橋》までインダス川を遡って行く。チベットの台地を水源地としてアラブ海に注ぐ大河《インダス川》に沿って造られた道をどこまでも遡って行く。

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06*インダス川の流れ:パキスタン・ペシャム郊外にて*ペシャムで一泊したが、ホテルの裏に出てみるとインダスの大きな流れが見えた、この付近は標高が低いためかブーゲンビリアの花が綺麗に咲いていた。

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07*オアシスの村:パキスタン・ミナピン村にて*インダス川沿いの台地は、ほとんどが砂漠地帯特有の荒れ地であり、人の生活は見られない。それでも深い谷の上に緑の大地が広がり、オアシスの村も散見される。ここ《ミナピン村》は、ディラン:ラカポシに行く時のベースの村である。

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08*峠を行くトラック野郎:パキスタン・ギルギット郊外にて*ナンガパルバットの展望できる峠へは急坂を登って行く。カラコルム・ハイウェイの《トラック野郎》も息絶え絶えである。

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09*ナンガパルバット展望台:パキスタン・ギルギット郊外にて*ナンガパルバット展望台に着くと大きな岩の看板が立っている。「Look Behind Nangaparbat:NANGAPARBAT HEIGHT
26660」と刻まれた文字が見える。

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10*ラキオット橋:パキスタン・ラキオットにて*ラワルビンディから二泊して漸くナンガパルバット基地の《ラキオット橋》に到着する。画面右インダス川に架かる橋がラキオット橋であり、橋左がジープ乗り場である。

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11*ジープ乗り場:パキスタン・ラキオットにて*ここジープ乗り場からジープに乗り換え、V字谷をタト村まで一時間をかけて行く。ジープは定員4人乗りに三人で乗車する。

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12*巨石群のV字谷を行く:パキスタン・ラキオットにて*ラキオット橋のジープ乗り場を出ると巨石群のガレ場のような細い道をジープは走る。高さ10m・重さ何トンもの巨石が横たわっている。こんな巨石が崩落してきたら、こんなジープなど木端微塵である。

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13*V字谷を行く1:パキスタン・タト村にて*ジープの左側は断崖絶壁である。泥道はジープの車幅一杯に造られ、ハンドルを切り損なえば、千尋の谷へ真っ逆さまに落ちて行く。

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14*V字谷を行く2:パキスタン・タト村にて*私は前席左に座ったので、右カーブごとに体半分が谷底に押し出され、思わず《南無阿弥陀仏!》である。

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15*運搬荷物の仕分け:パキスタン・タト村にて*タト村に到着すると早速にポーターの親方が運搬荷物の仕分けを行う。その場で運賃と荷物を手際よく渡して行くが、何人かは仕事にありつけなく不満顔であった。

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16*ポーターの長老と共に:パキスタン・タト村にて*ポーターの親分とのワンショットである。立派な髭をはやした貫禄のある親分である。

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17*ポーターの出発風景:パキスタン・タト村にて*カメラザックやテント機材など担当の荷物を背負って出発である。ポーターは必ず《ダンナ》であるわれわれの後ろを歩き、主人が声をかければすぐにそれに答えなければならない。ここタト村からはラキオット氷河から流れるラキオット川を下に見ながら登り坂が続く。メルフェン・ヴィーゼのテントキャンプ地までは徒歩3~4時間の行程である。

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18*キャンプ地(メルフェン・ヴィーゼ目指して:パキスタン・タト村にて*ここタト村からはラキオット氷河から流れるラキオット川を下に見ながら登り坂が続く。

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19*ラベンダーの原種:パキスタン・メルフェン・ヴィーゼ付近にて*この付近は砂地やガレ場が多く、乾燥地帯のため砂漠地帯で見られるような植物が多く、この植物も《ラベンダー》の仲間かもしれない。

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20*メルフェン・ヴィーゼ(お伽の牧場)のキャンプ地3200m:パキスタン・メルフェン・ヴィーゼにて*メルフェン・ヴィーゼのテント地3200mに到着すると奥にラキオット氷河は広がり、その上に大きな山容のナンガパルバットが聳え立っている。

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21*ラキオット氷河:パキスタン・メルフェン・ヴィーゼにて*ナンガパルバットから流れ出たラキオット氷河である(画面中央)。メルフェン・ヴィーゼのキャンプ地から見えるこの氷河は、周囲の斜面から崩れ落ちる岩砂に覆われ、まさに《ブラック・グレイシャー:Black Glacier》である。深いクレパスや高いセラック(氷塔)が多く、夜中にテントで寝ていると、大きな崩落音で何度も目覚めさせられた。

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22*メルフェン・ヴィーゼからのナンガパルバット全景:パキスタン・メルフェン・ヴィーゼにて*この山は《裸の山》といわれるように、ほかのヒマラヤの巨峰と違い、完全な独立峰(例えばエヴェレストは横にローツェ8511m、前にヌムツェ7855mを従えている)である。なお、画面下に見える氷河はナンガパルバット源流の《ラキオット氷河》である。

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23*ナンガパルバット8126m・Nanga Parbat:パキスタン・メルフェン・ヴィーゼにて*雲間にわずかに頂上を見せ始めたナンガパルバットの雄姿である。インダス河の谷の上に聳え立ったその山容の雄偉壮大なことは、ヒマラヤの一流中の一流の高峰である。

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24*雲行くナンガパルバット:パキスタン・メルフェン・ヴィーゼにて*ナンガパルバットは1953年にドイツ・オーストリア隊によって初登頂されたが、それまでに総勢31名がこの山で消えていった。とくに1934年は9名、1934年は16名が命を絶っている。そんな犠牲の果てに、1953年伝説的登山家《ヘルマン・ブール》が単独で初登頂をした。ヘルマンは、この写真のような稜線を下山の途中、日が暮れて寝袋もビバークザックや身を確保するザイルもなく、大きな凍傷を負いながらも無事下山を果たした。

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25*撮影を終えて(スナップ):パキスタン・メルフェン・ヴィーゼにて*それにしても、《ナンガ・パルバット》はなんと懐の深い大きな山容のある独立峰・裸の山であろうか。残念ながら《赫光》の山容は撮影できなかったが、頂上付近や山稜に雲の飛翔する様子は何回となく撮影できて大満足であった。
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by chusan8611 | 2009-11-19 21:12 | ヒマラヤ・トレッキング
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NO57:ディラン&ラカポシ・トレッキング紀行2001

若いころに、北杜夫(精神科医・医学博士・芥川賞受賞作家)の「白きたおやかな峰」という小説を読み、カラコルム山脈に聳え立つ《ディラン峰・7257m》のことを知り、いつか訪ねたいと思っていました。

「白きたおやかな峰」は北杜夫が1966年にカラコルム山脈のディラン峰に医師として登山隊に随行した体験に取材した小説(新潮社出版)です。この小説の《あとがき》(私は本を読む場合《あとがき》から読み出す癖があります)では、精神科医であった北杜夫に登山隊随行の要請があり、「登山隊医師といえば通常は内科医か外科医であり、精神科医など聞いたことがないので断ったが、医師であれば問題ないだろうということで同行した」と述べています。

同行に至る経緯が面白く思わず引きずり込まれて読みふけりましたが、ディランのベースキャンプをあずかりながら、登山隊とのやりとりやディランの稜線変化などその描写が素晴らしく、一気に読んでしまった思い出があります。

この小説を読んでから《カラコルム山脈》に興味を持ち始め、写真集や登頂記録を読み漁り、名峰《ラカポシ・7788m》や山麓の大河《インダス河》を知るようになりました。

ディラン・ラカポシへの撮影トレッキングは2001年7月にヒマラヤ観光から話が飛び込み出かけたものですが、天候にも恵まれ、期待以上の素晴らしい撮影行でした。パキスタンに入国するのも、この時が初めてでしたが、イスラム教の人たちとの出会いや交流も想いで深いものとなりました。ブログ写真を投稿しますのでご高覧下さい。

  2008-11-18  加藤忠一記

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01*パキスタン入国:パキスタン・イスラマバード国際空港にて*パキスタンのカラコルム山脈に入るには、成田空港からパキスタン航空便で首都:イスラマバードに入国する。パキスタン航空の機内では《コーラン》が放送され、スチワーデスに聞くと「無事に飛行できるように祈っているのです」とのこと。最初から「これはえらいところに行くな!」との思いであった。

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02*果物の露天商:パキスタン・マンチェラバザールにて*この青空市場には近郊からの買い物客で賑わっていた。この時期(7月中旬)は果物が豊富で、ウリや桃、スイカなどを食べてみたが、以外に甘く、値段の安さにもびっくりである。

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03*ナンを焼く:パキスタン・マンチェラバザールにて*ここの主食は小麦粉の焼きパン《ナン》である。昼間の気温も高く、保存食として食用されているが、食べてみると塩味がして美味しい。

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04*飾り物の売り子:マンチェラバザールにて*パキスタンは音も大きいが色も派手な国である。この売り子は派手な飾り物を大きな声を張り上げて売りまわっていた。

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05*小型タクシー:パキスタン・マンチェラバザールにて*自動車の派手な飾り物も驚きである。この小型貨物車を改造したような《小型タクシー》の運ちゃんも誇らしげである。

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06*超満員の乗合バス:パキスタン・マンチェラバザールにて*ガイドの話によれば乗客は飾り物の派手なバスに好んで殺到するという。日本でこんなバスが走ったらどんな反応があるだろうか。乗車拒否は間違いあるまい?

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07*派手なトラクター:パキスタン・マンチェラバザールにて*こんな派手なトラクターを見せつけられると、派手さは《人集め》という説には納得できない。派手な車への飾り付けは、《人集め》と納得していたが、トラクターを見るとあやしくなってきたが、ガイドに質問する機会がなかった。

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08*トラックの飾りは芸術品:パキスタン・マンチェラバザールにて*トラックの飾りの派手さは、まさに《芸術品》である。それにしても飾り付けに相当な費用が必要であろう。

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09*カラコルム・ハイウエィを行く:パキスタン・ギルギッド郊外にて*一台のトラック野郎が大きなエンジン音を響かせてナンガパルバットの見える峠を駆け上ってくる(写真上の雪山はナンガパルバット峰)。

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10*大河インダス川を遡る1:パキスタン・ペシャム郊外にて*大河インダス川はパキスタン最大の河で、アジア大陸では3番目に長い。その水源はチベットの台地から始まり、最後にパキスタンの港都市カラチの近くのアラブ海に注いでいる。 この大河は多くの重工業を支えて、パキスタンで飲料水の主な供給源となっており、重要なライフラインとなっている。

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11*大河インダス川を遡る2:パキスタン・ペシャム郊外にて:*インダス川沿いに敷かれたカラコルム・ハイウエィはパキスタンから国境のクンジュラブ峠を経て中国に至る幹線道路であるが、道路の両側は絶壁と目もくらむような崖下の連続である。おまけに未舗装道路が多く、雨が降ると崖崩れに襲われる。2~3年前のパキスタン大地震では、いたる所が大きく崩れ落ち通行不通が続いた(写真左下の大きな岩はいまにも崩れ落ちそうであった)。

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12*インダス川ジャンクション:パキスタン・ギルギット郊外にて*この台地はヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、ヒンドゥークシュ山脈の交叉地で、その標識銅版(写真左下)が置かれている。写真中央奥にカラコルム山脈が見えるが、左奥がヒンドゥークシュ山脈、右奥がヒマラヤ山脈である。なお、写真中央左の川がギルギッド川(その上流はフンザ川)、右の川がインダス川本流である。

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13*ポーターとの合流:パキスタン・ミナピン村にて*ギルギットにて一泊後、ギルギット川・フンザ川を遡り、《ミナピン村》に到着、ここでポーターたちと合流し、荷物の仕分け、担当ポーターの選定作業が行われる。

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14*ミナピン村のポーター:パキスタン・ミナピン村にて*このミナピン村で20人を超えるポーター(テント・食材・調理資材・カメラザックなど運ぶ)を雇うが、農繁期のため少年ポーターも雇い入れる(写真左の少年ポーターは調理用のニワトリを持っている。右端の老人ポーターは私のカメラポーター「フセイン」である)。

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15*ミナピン村全景:パキスタン・ミナピン村にて*荷物仕分け後、タカファリBC(ベースキャンプ)目指し出発する。途中、振り返るとミナピン村が見渡せた(写真左の川はミナピン川、右砂地にタカファリBCへのルートが見える)。

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16*ミナピン村の秋の収穫:パキスタン・ミナピン村にて*この時期は小麦の収穫期で忙しい。また、アンズの収穫を終え、それを石造りの小屋の上で乾燥させている。

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17*アンズ干しの大石:パキスタン・ミナピン村にて*アンズはミナピン村の特産物で村の大きな現金収入となっていて、村の各農家が栽培しており、この時期はアンズ干しに忙しい。平らな石はすべてアンズ干しに利用されている。

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18*ミナピン氷河下流の橋:パキスタン・ミナピン村にて*ミナピン村の村はずれに、ミナピン氷河から流れ出したミナピン川に小さな橋が架かっている。氷河から流れ出ているので白濁した急流である。

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19*ミナピン氷河下流の氷塊:パキスタン・ミナピン村にて*ミナピン氷河から流れ出した水がどんな味をしているか飲んでみると、ミネラルを含んでいるのであろうか、冷たくてまろやかな味がした。川辺をよく見ると、澱みの所に氷塊がキラキラと輝いているのを発見した。

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20*テント場の《エーデルワイス》の大群落:パキスタン・ハバクンド2800mにて*第一日目はハバクンドでテント泊となる。この草原は高山植物が満開で、どこを見てもビッシリと《花の絨毯》である。とくに、エーデルワイスが群生している。ポーターたちはそのエーデルワイスの上にテントを張っている。「エーデルワイスの上ではまずいのでは・・」と言えば、「ほかに空き地もないし・・、どうせ小動物に食べられるし、テントを張っても来年は花は咲きますよ!」と澄ましげに答えが返ってきた。

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21*テント場色とりどりのお花畑:パキスタン・ハバクンド2800mにて*テント場付近は、まさに、「《花の桃源郷》の感あり!」である。

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22*タカファリBCへの道1:パキスタン・ハバクンド3000mにて*ハバクンドからタカファリBCへは急な上り坂が続き、息切れがしてくる。キャンプの荷物を背負わせた《ロバ隊》が続く。

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23*タカファリBCへの道2:パキスタン・ハバクンド3000mにて:*ポーターたちは、我々のカメラザックを背負ってゆっくりと登ってくる。はるか下方にミナピン氷河が見えてくる。

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24*タカファリBCのテント場:パキスタン・タカファリBC3500mにて*タカファリBC3500mはミナピン氷河真下に見える草原に位置し、ディラン7257mやラカポシ7788mがすぐそばに屹立している。先発のポーターたちが個人テントや食堂テント、トイレテントなどを設営して我々を歓迎してくれた。ここに二泊して、朝晩のミナピン氷河や名峰ディラン、ラカポシ、さらに台地に咲く色とりどりの高山植物を撮影した。

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25*大彩雲の出現:パキスタン・タカファリBC3500mにて*食堂テントで昼食中に急に外が騒がしくなった。飛び出して切るとディラン方向の上空に彩雲が出ていた。折からの中天の空に、大きな彩雲が龍のごとく踊りだしていた。あわててカメラを取り出し、何枚もシャッターを押し続けた。

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26*ミナピン氷河:パキスタン・タカファリBC3500mにて*ラカポシ峰からはミナピン氷河が流れ出し、クレパス(割れ目)やセラック(氷柱)がいたるところに見え隠れしている。

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27*ミナピン氷河のセラック帯1(氷塔群):タカファリBC3500mにて*ベースキャンプ・キャンプ地の台地に立つと、真下にミナピン氷河のセラック帯(氷塔群)が圧倒的な迫力で迫ってくる。光線具合で青白く光ったものも見え隠れしている。

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28*ミナピン氷河のセラック帯2(氷塔群):パキスタン・タカファリBC3500mにて*セラック(氷塔)の高さは、高いもので20m~30mほどもあろうか。全体的に黒ずんで青みがかっている。テントで寝ていると、夜中に、このセラック(氷塔)が“ドーン,ドーン”と大きな音を立てて崩落し、びっくりして何度も目を覚まされた。

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29*夜明けのディラン7257m:パキスタン・タカファリBC3500mにて*ベースキャンプ・キャンプ地の左後方にはディラン7257mが聳え立ち、優美な山容が見える。とくに、朝日があたり始めると山稜がピンク色に染まり始める。

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30*明け行くディラン稜線:パキスタン・タカファリBC3500mにて*この朝のディランは頂上付近が厚い雲に覆われ、そのままついに頂上を見ることが出来なかった。

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31*烈風のディラン稜線:パキスタン・タカファリBC3500mにて*ディラン上空は偏西風(ジェット気流)が吹き荒れているのか、その稜線には、何筋もの筋雲が飛来していた。

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32*雲舞うラカポシ7788m:パキスタン・タカファリBC3500mにて*この朝の名峰ラカポシも、盛んに頂上上空付近は幾筋もの雲に覆われ、こちらは時々、頂上が見え隠れしていた。

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33*朝のラカポシ7788m:*しばらくすると、ラカポシ頂上付近の雲がディラン方向に流れ出し、頂上付近が晴れてきた。ラカポシは、カラコルムの名峰に相応しく、優美な曲線を描いていた。

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34*スナップ(ハバクンド2800mにて)*今回のディラン&ラカポシへの撮影ツアーは、タカファリ・ベースキャンプでヤクや羊の夜間訪問などハプニングや、大規模な彩雲出現など楽しい撮影行であった。とくに、氷河の表情をいろんな角度から撮影できた。氷河と言えば、通常、ヒマラヤ山脈では標高5000mを超えないと見られないが、ここカラコルム山脈では2500mくらいから見ることが出来る。機会があればもう一度訪ねたいが、最近のパキスタンは、大地震の復興状況や政情不安、テロ情勢などから、当分の間、入国出来そうもない。 《完》
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by chusan8611 | 2009-11-19 20:44 | ヒマラヤ・トレッキング
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NO53:ゴーキョ・ピーク:トレッキング紀行2003

山好きな人たちならば、「生涯一度はエヴェレスト(英語名=中国語:チョモランマ・ネパール語:サガルマータ) Mt Everest 8848mを見てみたい」との願望があります。

そのエヴェレストの雄姿を真近に眺望できる展望台として、ネパール側では、エヴェレスト街道にある《カラパタール・5545m》や、《ゴーキョ・ピーク:5483m》の二か所があります。中国・チベット側では、ロンブク氷河上のチョモランマBC5200mになります。いずれも、5000mを超える高度がありますので、高山病に悩まされながらの登頂になります。

私がゴーキョ・ピークに行ったのは2003年8月でした。ゴーキョに近いゴジュンバ氷河の辺(標高5000m)に咲く《青いケシ:ブルー・ポピー》を撮影しながら、ゴーキョ・ピークに登ろうという計画でした。《青いケシ》は7月中旬から8月上旬にかけてしか咲かない幻の花です。

この時期のヒマラヤはモンスーン(雨期)で、雨を覚悟で出かけましたが期待通り?、往きのルクラ行飛行機が霧で飛行中止(5日間)となり、帰りにチャーターしたシャンボチェ~カトマンズのヘリコプターも濃霧のため一週間も飛び立てず、行き帰りで約二週間も足止めをさせられ、一か月もかかる撮影行となりました。

しかし、カトマンズ(出発地)では、一般観光では行けない場所の撮影もできたし、シャンボチェ 3800m(エヴェレスト街道&ゴーキョ・ピーク登山基地)では、霧のお花畑の撮影に一週間も費やす贅沢な経験をしました。このグログは、そんな想い出のある撮影紀行です。

2009-9-15  加藤忠一記

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01*カトマンズ空港到着:カトマンズ国際空港にて*エヴェレストなど《ネパール・ヒマラヤ》の山域に入山するには、ここ、カトマンズ国際空港が玄関口になる。日本から来る場合、関西空港から「ロイヤル・ネパール航空便」でタイ・バンコック国際空港経由となる。カトマンズ近くになると右窓にヒマラヤ東端の《カンチェンジュンガ山群》や《マナスル山群》、さらに《エヴェレスト山群》などなつかしい山群が次々と目に入ってくる。カトマンズ空港に到着すると、ここ特有の何とも言えない《臭い》が漂う。その《臭い》を嗅ぐと「また、ヒマラヤに来たな!」と不思議に落ち着くことがある。

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02*ホテル・ヒマラヤでの休息:ネパール・カトマンズ市内にて*通常のスケジュールでは、定宿の《ホテル・ヒマラヤ》に一泊の後、撮影地に出発となる。しかし、この時(7月中旬)はモンスーン(雨期)のため、天候が悪く(濃霧)、ルクラ行きの飛行機が欠航続きで、一週間も足止めをくらってしまった。

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03*カトマンズ市内散策:ネパール・ボウダナード寺院にて*一週間もの間、ホテルと空港を往復するが、欠航が決まると仕方なく《市内ブラブラ散策》となる。おかげで、カトマンズ市内の観光地は何回も見ることになるが、珍しい被写体を発見することもある。この写真の寺院は、直径27mの世界最大級のストゥーバ(仏塔)を擁したチベット仏教(ラマ教)の寺院である。シェルパ族などの仏教徒にとってカトマンズ第一級の聖地であり、礼拝者が絶えることはない。

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04*パシュパティナード寺院の葬式場:ネパール・パシュパティナード寺院にて*パシュパティナード寺院はネパール最大のヒンズー教寺院で寺院裏手のハグマティ川には《ガード》といわれる火葬場がある(写真参照)。ハグマティ川は、インド・ガンジス河に注ぐ《聖なる川》である。この川沿いに設置された火葬場で死者の遺体は火葬されるが、川向うに造られた《観覧席?》で火葬の様子を見ることが出来る。私も何回となくその様子を観覧したが、何とも言えない《臭い》と《雰囲気》で、人の死を身近に実感してしまう。火葬後の《灰》などは、そのまま川に流されるが、そのすぐ近くでは、人々が《沐浴》しており、《死生観》の違いなどを見せつけられる。

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05*ルクラ飛行場到着:ネパール・ルクラ2800mにて*ゴーキョ・ピーク入山は、カトマンズから飛行機利用(50分)が一般ルートである。到着空港の《ルクラ飛行場》はヒマラヤの登山基地である。エヴェレストなどへの登山隊は《ルクラ》からそれぞれの《ベースキャンプ》へスタートする。

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06*ポーターへの荷物仕分け:ネパール・ルクラ2800mにて*ルクラでは先発したシェルパやポーターたちが出迎え、すぐに運搬荷物の仕分けがはじまる。カメラ機材なども、それぞれの担当ポーターによって仕分けされる。今回の撮影行は、テント泊とロッジ泊であるが、ロッジ泊も食事は作るので、宿泊資材や食糧などでポーターを7名雇う(その他、シェルパ・コック・キッチンボーイやカメラポーターなどで総勢15名を雇う。我々一行5名を入れると《キャラバン隊》は総勢20名である)。

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07*ナムチェバザール目指して出発:ネパール・ルクラ2800mにて*荷物の仕分けが終わり、一休みの後出発となるが、われわれは、水筒や着替えなど詰めたリック一つとトレッキング・ポールだけの軽装での出発である。

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08*吊り橋を行く:ネパール・ハンガル村3100mにて*ルクラからナムチェバザールへは、ドゥート・コシ川沿いを遡るが、この川に架かった《吊り橋》を何度も渡る。かなりの急流を下に見ながらの橋渡りは、《高所恐怖症》の私にとって辛いものである。

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09*大雨の道を行く:ネパール・ハンガル村3100mにて*エヴェレスト街道に入っても生憎の悪天候による大雨のため道も川になり歩くのも辛い。しかも、樹林帯通過のときは、《ズガ》という《山ビル》が容赦なく襲ってくる。

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10*ナムチェバザールを目指して:ネパール・パクディン3100mにて*ルクラからパグディンに一泊し、《シェルパの里》として有名なナムチェバザールを目指す。ナムチェバザールへはドゥート・コシ川沿いに坂道が続く。この川の流域に広がる谷間の部落などを見物し、部落の人たちと交流しながらのんびりと歩く。

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11*パクディンのロッジ・タシタキTasitaki:ネパール・パクディン3100mにて*ルクラ出発後5~6時間で宿泊地《パクディン》に到着する。ロッジは素泊まりで、食事は同行のコックが作ってくれる。キッチンボーイも食事のサービスをしてくれるので《殿様気分》である。ロッジは板製のベッドであるが居心地は悪くない。

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12*ナムチェバザールへの急坂を行く:ネパール・ナムチェバザール下3300mにて*ナムチェバザールへは全体に緩やかな上り坂であるが、ナムチェバザール直下は急な坂続きで相当にへばる。

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13*ナムチェバザール入り口:ネパール・ナムチェバザール3500mにて*ナムチェバザールはシェルパ族の里で入り口に大きな《チョルテン(仏塔)》がある。ナムチェバザールはエヴェレスト街道一の宿泊地で大きなバザールが開かれ、街道中から人たちが集まってくる。

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14*ナムチェバザールのロッジ街:*パール・ナムチェバザール3500mにて*シェルパはエヴェレストをはじめ世界各国の登山隊のガイドや荷物運搬をやり、その報酬で自分の「ロッジ」を建てるのが夢である。人気のシェルパには高額報酬が支払われ、それを元手にロッジ経営をするシェルパも多いという。

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15*夏祭り・ラプソ会場:ネパール・ナムチェバザール3500mにて*我々が訪問した7月中旬は、ナムチェバザールの夏祭り《ラプソ祭り》が開かれていた。ラプソは五穀豊穣と家内安全を祈るシェルパ族最大の祭りで、村中の人たちが参加して祝うという。

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16*ラプソ会場のシェルパニたちと共に:ネパール・ナムチェバザール3500mにて*今回の撮影ツァーには、特別ガイドとして知人の《ヒマラヤ観光》宮原社長が同行してくれた。宮原さんは、ホテルヒマラヤ(カトマンズ)やホテル・エヴェレスト・ビュー(シャンボチェ)の経営者として有名でご自身もエヴェレスト頂上直下まで登った経験がある登山家である。ここ、ナムチェバザールでもシェルパ族の長老にも友人が多く、何回もエヴェレストへ登頂したシェルパなども紹介してくれた。写真はシェルパ族の奥さんたち(シェルパニという)に祭り料理をご馳走になり記念撮影した時のスナップである。

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17*クムジュン村全景:ネパール・クムジュン峠3800mにて*ナムチェバザールで一泊してからゴーキョ・ピークへ出発する。途中、クムジュン峠でクムジュン村を一望する。クムジュン村はエヴェレスト初登頂者のニュージーランド人《エドモンド・ヒラリー卿》が寄贈した小学校やエヴェレスト診療所などがあるシェルパ族の部落である。

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18*クムジュン村の子供たち:ネパール・クムジュン3800mにて*ヒマラヤ・トレッキングでの出会いでの楽しみの一つは、子供たちとの交流である。我々を見つけて真っ先に駆けつけるのは子供たちである。純真無垢な笑顔を見れば、トレッキングの疲れも吹き飛んでしまう。

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19*イエティー(雪男)の頭部:ネパール・クムジュン3800mにて*クムジュン村最大の見世物は、イエティー(雪男)の頭部である。クムジュン寺院にガラスケースに鍵付きで厳重に?保管されている。真偽のほどは分からないが、《本物》と信じたい。《夢・ロマン》は壊したくない。

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20*モンラ峠のロッジ村:ネパール・モンラ峠4100mにて*モンラ峠はホテル・エヴェレスト・ビューから一日行程である。ここには数件のロッジがあり、われわれは写真下のロッジに素泊まり一泊をした。この峠はタムセルク(6627m)やアマダブラム(6812m)の展望台である。早朝にこれらの高峰が明け行くさまは絶景であり、いくつかの作品を撮影することが出来た(作品はブログNO 22:個展ヒマラヤ巡礼第一部:作品07「ヒマラヤへの祈り」、作品08「タムセルク6623m」、作品09「カンテガ6779m」参照)。

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21*マッチェルモ峠を行くポーターたち:ネパール・マッチェルモ4400mにて*モンラ峠からはドーレで一泊してからマッチェルモ(4400m)にて一泊する。この辺りは標高も高く、酸素不足で息切れがきつくなる。ポーターたちは大きな資材を背負いながら、この峠を通過して行く。

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22*シェルパ頭のラクパ・ツェリン:ネパール・ゴーキョ4900mにて*ゴーキョ近くなると歩行が辛くなり、サーダー(シェルパ)の《ラクパ・テンジン》が馬を用意してくれた。乗馬トレッキングはまさに極楽である。ラクパ・テンジンとは1996年7月のランタンコーラ撮影で一緒であり旧知の仲であるが、じつに気配りのある好青年である。

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23*ゴーキョの氷河湖畔:ネパール・ゴーキョ4900mにて*ここゴーキョ氷河湖はゴジュンバ氷河から流れ込んできた川で氷河湖が作られ、畔にはいたるところに黄色のサクラソウが群生し、ヤクたちが草を食んでいる。

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24*ゴーキョのヤク:ネパール・ゴーキョ4900mにて*最奥の地では資材の運搬やチーズ・バターなどの入手は《ヤク》に頼らざるを得ない。住民にとって《ヤク》は生活の糧である。

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25*岩場に咲くサキシフラガ・ササノィデス(ユキノシタ科):ネパール・ゴーキョ4900mにて*ゴーキョといえば《ブルーポピー(青いケシ)》が咲くことで有名であり、今回のメインテーマであるが、青いケシのほかに珍しい高山植物に出会うことが出来た(ブログでは《NO54ゴーキョ・ピーク花紀行2003》参照)。この《サキシフラガ・ササノィデス(ユキノシタ科)もその一つで、岩場にへばり付き見事な黄色い花を咲かせていた。冬には零下何十度にもなる極寒の岩場で生きる生命力に脱帽である。

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26*ゴーキョ・ピーク北斜面に群生のサクラソウ:ネパール・ゴーキョ4900mにて*4000mを超える水辺には黄色いサクラソウが群生している。ここゴーキョ・ピーク北斜面でも、斜面の沢伝いの流れに沿ってサクラソウが群生していた。

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27*ガレ場に咲く青いケシ:ネパール・ゴーキョ4800mにて*青いケシはガレ場に一輪ずつ咲いている。中国の巴朗山峠(4100m)の青いケシは4~5がまとまって咲いているが、ここゴーキョでは一輪で咲いている。シェルパの話では、近くに青いケシの種があるとそれを嫌い種は発芽しなという。なんと孤独な花であろうか。

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28*ゴーキョの氷河湖とロッジ村:ネパール・ゴーキョ5100mにて*ゴーキョにはゴジュンバ氷河から流れる川水で幾つかの氷河湖が出来ている。この氷河湖は《ドゥード・ポカリ》で湖面の色合いが大変に美しい湖である。画面やや中央上部は宿泊ロッジである。

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29*酸素を吸いながら:ネパール・ゴーキョ5000mにて*この地は標高が高く、平地に比べ酸素が五分の二程度であり、少し早足で歩くとすぐに息切れする。高山病になったら高度を1000m下げるか、十分な酸素を吸うことだと言われとぃる。宮原さんが酸素ボンベを用意していてくれたので、ゴジュンバ氷河を見に行くときに酸素実験をしてみた。酸素を吸いながら歩くとなんと気分爽快なことか。早速、夜寝る前に一服してから寝ることにする。

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30*濃霧のゴーキョ・ピーク斜面を行く:ネパール・ゴーキョピーク5200mにて*ゴーキョコースの最大の目的は、なによりも、ゴーキョ・ピーク(5400m)の頂上に立つことである。ゴーキョから頂上まで4時間をかけて登る。5000mを超えると酸素不足で、一歩登っては一休みが続く。カメラ機材はポーターが背負ってくれるのでトレッキングポール一本の身軽さであるが、息も絶え絶えである。

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31*ゴーキョ・ピーク5400m頂上にて*やっとの思いで5400mのゴーキョ・ピーク頂上に立つ。頂上での真っ赤に染まるエヴェレスト・Mt Everest(8848m)やマカルー・Makalu(8463m)、チョオユー・Cho Oyu(8201m)などヒマラヤン・ジャイアンツを撮影したかったが、生憎の濃霧と降雪で、途中から吹雪模様となったため、頂上の出の記念撮影を済ませてから、早々に下山となった。

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32*ポーターと共に:ゴーキョピーク5300mにて*ゴーキョ・ピークの頂上に立てたのはポーターのお陰である。思いカメラ機材を背負い、私を励ましながら、「ビスタリー! ビスタリー!(ゆっくり! ゆっくり!)」と大きな声をかけてくれた。

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33*シャンボチェ飛行場:シャンボチェ3800mにて*ゴーキョからシャンボチェに帰り、《ホテル・エヴェレスト・ビユー》に一泊後、チャーターしたヘリコプターでカトマンズまでフライトの予定であったが、早朝からの濃霧のためヘリコプターが離陸できなくなってしまった。

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34*シャンボチェ飛行場停滞のヘリコプター:ネパール・シャンボチェ3800mにて3800mにて*毎朝午前5時に起床し、ホテル・エヴェレスト・ビユーからシャンボチェ飛行場まで一時間をかけ出かけるも、毎日、濃霧と悪天候のため、ヘリコプターは離陸不能であった。その間一週間、毎朝、ホテルと飛行場との往復である。昼間は付近の高山植物撮影をしたり、小動物を追いかけて時間つぶしをした。ヘリコプターが早朝の一瞬の晴れ間をついて離陸でき、カトマンズへ飛行できたのは一週間後であった。

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35*ゴーキョピーク登頂を終えて(ホテル・エヴェレスト・ビュー玄関前):ネパール・シャンボチェ3800mにて*今回の撮影ツアーを支えてくれたシェルパや、ポーターたちは、ホテル・エヴェレスト・ビューに帰ってきてすぐに、徒歩にてカトマンズや出身部落に帰るが、その前に記念撮影をした。彼らは実に気立てが良く働き者で、いつも笑顔で接してくれた(写真左下が私で、その右が宮原さん)。 《完》
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by chusan8611 | 2009-11-15 11:18 | ヒマラヤ・トレッキング
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NO42:ジョムソン街道・トレッキング紀行2000

1997年(平成9年)12月に、NHK特別番組「風になった男:河口慧海:ネパール百年の旅」が放映されました。この番組は、1900年(明治33年)に仏教の原典を求めて、単身でチベットに入った河口慧海の足跡を辿った物語です。私も偶々この番組を見ましたが、現在のように外国が身近でなかった時代、また、現在に比べ装備、食料、道路事情、気象条件など極めて劣悪な条件の下で、河口慧海は求道者の一心で単身、ヒマラヤを越え、あらゆる困難を克服して、鎖国のチベットに潜入しました。私は、この番組放映後、早速に河口慧海の「チベット旅行記」(講談社文庫本・全5巻)を読んでみて、さらに深い感銘を受けました。

そんなことから、河口慧海の辿ったジョムソン街道をトレッキングして見たいと夢見ていましたが、ヒマラヤ観光主催の「山岳写真家・川口邦雄先生同行:ジョムソン街道&ダウラギリ峰撮影ツアー」の企画を知り参加しました。

河口慧海は、インド・カルカッタを経て、ネパール・カトマンズ~ポカラ~ツクチェ~ジョムソンと入り、カリ・ガンダキ川を上流に遡ってチベットへ行きましたが、私たちは、反対にジョムソンから、カリ・ガンダキ川を下流に向けて下り、ラルジュンまでをトレックしながらダウラギリ峰東面を思う存分撮影してきました。
また、この時期(11月)は、乾季で水が少ないため、カリ・ガンダキ川の河床を歩きましたが、チベット往来のロバ隊やチベット-ネパール間の物資輸送隊など、《塩の交易路》風物などを撮影してきました。

さらに、このツアーでは、ジョムソン入りする前後2回にわたり、経由地《ポカラ》でゆっくり過ごしましたが、ペア湖に投影する朝夕のアンナプルナ山群を撮影したり、ラルジュンからポカラへ帰る途中、ヘリコプターのパイロットに頼みこみ、ダウラギリ&アンナプルナの展望台《プーンヒル》に着陸してもらい、両山群の大展望を満喫して来ました。
2008-12-15 加藤忠一記

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01*ジョムソン空港着陸:ジョムソンにて*経由地《ポカラ》からは国内線でジョムソン飛行場に入ったが、この定期便からのアンナプルナ山群やダウラギリ山群の眺望は実にすばらしい。なお、ジョムソンが近づくと緑の多いネパール的風景は一変し、黄褐色の山岳砂漠帯の風景となる。それにしても、ジョムソン飛行場着陸時のショックの大きさには驚かされた。急角度での着陸と滑走路が硬い岩盤であることが原因らしい。

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02*ジョムソン村にて*ジョムソン(Jomusom 2700m)は、ジョムソン街道の中心地で立派なロッジが建てられ、街も観光客で賑わっている。ここでシェルパやポーターと合流し、カメラポーターの割り当ても行われる。私のポーターは若くて・力持ちの「アイスマン」という。彼にはツアー中、カメラ助手までお世話になった。写真左手の建物は空港管制塔で、その上の山は名峰ニルギル北峰(Nilgiri 7061m)である。

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03*ジョムソン街道を行く:ジョムソンにて*ジョムソン街道はチベットやインドに通じる経由地で両地区に繋がる物資輸送路であり、街道両側には立派なロッジが建てられ、人の行き来も頻繁である。

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04*カリ・ガンダキ川を下る:ジョムソンにて*ジョムソンからはカリ・ガンダキ川の河床につけられた臨時道路を歩く。雨季で増水している時は川沿いに作られた道を行くが(写真中央、崖下に長く続く道が見られる)、今は乾季で河床の道の方が平坦で歩きやすく、距離も稼げるようである(写真左奥はダウラギリ峰の一部岩壁)。

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05*ロバ隊のリダー:ジョムソンにて*この街道は、チベットからの岩塩を輸送する《塩の交易路》になっており、たくさんのロバ隊が往来している。先頭はリダーのロバで装飾も立派で賢そうな面構えである。

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06*干し草輸送のロバ隊:ジョムソンにて*安価で手っとり早い輸送手段は《ロバ》ということになる。このロバ隊は干し草を運んでいた。チベットまで輸送するのであろうか。

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07*材木輸送のロバ隊:ジョムソンにて*チベット地区では材木は貴重品である。多分、ネパール側からチベット方面に運び、高値で取引するのであろう。

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08*地層湾曲帯:ツクチェにて*カリ・ガンダキ川沿いを歩くと思わぬ発見が見られる。この露出した地層帯は、かつて、この付近も海底であった証左である。大規模な隆起で海底にあった岩盤が露出したのであろう。このような風景はいたる所で見られた。

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09*河口慧海の遺品:ツクチェにて*ジョムソンから半日行程でツクチェ(Tukuche 2600m)に到着。ここでテント泊となる。この地には河口慧海の逗留した宿坊があり、河口慧海の遺品が展示されていた。

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10*ツクチェ寺院にて*この地は川口慧海逗留の場所で立派な寺院も建てられている。この《ツクチェ寺院》も石造りの頑強な寺院である。ネパールでもカトマンズなどはインド文化の影響なのか、《煉瓦の文化圏》で日干し煉瓦の家が多いが、チベットに近いこの付近は《石の文化圏》のようで、石造りの家である。なお、写真右奥の山はニルギリ・7061mである。

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11*マルファ村風景1*ジョムソンから歩いて2時間ほどでマルファ村(Marpha・2700m)というチベット風の小さな村がある。この村で昼食を摂り、昼食後、村の散策に出かけた。ここでも石造りの家が立ち並び、狭い石畳道の両側には白壁の多く、独特の雰囲気を醸し出している。村中央の小高い丘の上には、チベット仏教のゴンバ(寺院)が見える(写真中央)。

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12*マルファ村風景2*カリ・ガンダキ川沿いに開かれた村では、川沿いの平坦地が開墾され農作が行われているようである。家々には五色(赤・青・黄・緑・白)のタルチョ(祈祷旗)がたなびいていた。

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13*杏子干しと薪貯蔵庫:マルファ村にて*シェルパの話によれば、この村は裕福な家が多いという。その理由を問いただすと、「家々では薪の貯蔵がなされている。木材の乏しいこの地区では、冬用の暖房や食事作りに《薪》は欠かせない。薪は高価なので、金持ちしか買えない。普通の家では、ヤクや牛の糞をかき集め、乾燥して薪代わりに使う」という。なお、写真中央の黄色い干しものは《アンズ》の干し物である。

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14*マルファ村で出会った少女*マルファ村を散策中、木片を大事そうに抱えた少女に出会った。洋服や赤ぎれた手や顔を見れば、あまり裕福な家の子ではないようである。私が飴をあげ、カメラを向けるとニコッと笑ってくれた。その笑顔のなんとすばらしいことか!。ヒマラヤでたくさんの子供たちと出会い、その素顔を撮ってきたが、この笑顔は今でも忘れられないNO1の笑顔である。

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15*マニ石とマニ車:ツクチェ村にて*この付近の住民も熱烈な《チベット仏教徒》が多いようである。村のあちこちにはマニ石(仏教の経典を彫った石)やマニ車(これを一回転させるとお経を一回読んだことになると言われている)が置かれている。

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16*大きなマニ石とダウラギリ:マルファ村入口にて*マルファ村入口には大きなチョルテン(仏塔)と大きなマニ石が積まれていた。住民たちは、ここを通る度にマニ石に手を合わせ、生活の安全や無病息災を祈って行く(写真上の雪山はダウラギリ峰東面である)。

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17*カリ・ガンダキ川を渡る馬の隊商:ラルュジュン手前にて*ジョムソンからラルジュンまで行くうちに、何度かカリ・ガンダキ川を渡って行く。ロバや馬たちは臆病な動物だから、川を渡るのが嫌いかなと思って見ていると、慣れているせいか、思ったより簡単に橋を渡って行く。

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18*カリ・ガンダキ川を行く馬の隊商:ラルュジュン手前にて*陽が傾き始めたカリ・ガンダキ川の河原を馬の隊商が帰って行く。この河原はチベットを行き来する交易路になっており、一日中、ロバや馬の隊商が往来している。

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19*ダウラギリⅠ峰の東面壁:ラルュジュン村入口にて*ジョムソン街道もこの辺りまで来ると、ダウラギリⅠの東面が真近かに見えてくる。主峰頂上付近では盛んに雪煙が上がっていた。

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20*雪煙上げるダウラギリⅠ峰:ツクチェにて*ツクチェからラルジュンに向かうカリ・ガンダキ川の河原でダウラギリⅠ峰(Dhaulagiri Ⅰ 8167m 標高世界第7位)の東面壁が見事に見えてきた。氷河と氷壁をもった山容は雄大で、紺碧の空はどこまでも青く、頂上付近からは一筋の雪煙が上がっていた。

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21*カリ・ガンダキ川での昼食会:ラルュジュンにて*本格的な撮影は朝夕が中心で、昼間は、カリ・ガンダキ川付近の風物を撮ったり、のんびりと過ごすことが多い。昼食時になるとポーターが呼びに来てくれて、河原での昼食となる。

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22*カリ・ガンダキ川を行くポーターたち:ラルュジュンにて*この河原は地元民の生活道路でもあり、大きな籠を背負ったポーターも盛んに行き来していた。籠の中には野菜や生活物資が積み込まれているのであろうか。

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23*カリ・ガンダキ川を行くロバ隊:ラルュジュンにて*ガンダキ川の上流に向かって荷物を背負った十数頭のロバ隊が進んで行く。河原で横になりながら、これらの風景をのんびりと見ているのも楽しいものである。

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24*カリ・ガンダキ川で出会った修験僧:ラリュジュンにて*河原を行き来する人の中には僧侶の姿も見える。この修験僧はカメラを向けると近寄って来た。シャッターを押すと手を出してくる。モデル代を要求してきた。あまり愛嬌のない顔立ちなので、黙っていると立ち去って行った。チベットにでも修行に行くのであろうか。

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25*雲乱舞のニルギリ峰:ラルュジュンにて*この地からのダウラギリ峰の撮影は撮影方向が東面のため、朝の撮影には適しているが、夕方は陰ってしまい写真にならない。ところが、このニルギリ(Nilgiri 7061m)は、アンナプルナ山群の最西端に位置しているので、夕照が撮影どきである。この日は夕方近くに上空に雲が乱舞し始め、何枚かのシャッターを切ってみた。なお、「ニルギリ」とは《青い山》を意味するそうであり、月光に照らされたニルギリを撮影しようとしたが、夜になると曇ってしまった。

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26*黎明のツクチェ・ピーク:ラルュジュンにて*ここでの撮影は早朝から忙しい。早朝4時に起床し、ポーターの入れてくれたミルクティーを一杯飲んでから、撮影ポイントに向かう。撮影ポイントは、カリ・ガンダキ川を渡った向こう岸でダウラギリ連峰に対峙した場所である。明け方の光線が射し込み始めると、ダウラギリ山群の東端に位置するツクチェ・ピーク(Tukuche Peak 6920m)の頂上上空付近の雲が染まり始めた。

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27*曙光のダウラギリⅠ峰:ラルュジュンにて*ダウラギリ山群の上空に射し込んできた第一光は次第にダウラギリⅠ峰(Dhaulagiri Ⅰ 8167m)に射し込み、頂上がパッと照らされる。この一瞬に集中しシャターを切った。

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28*怪雲上がるダウラギリ峰:ラルュジュンにて*カリ・ガンダキ川でポカラに帰るヘリコプターを待っていた時、ポーターたちが騒ぎ始め、ダウラギリ峰の上空を指さしていた。すると、ダウラギリ峰の上空に様々な形の雲が乱舞していた。急いでカメラをセットして何枚もシャッターを切ってみた。

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29*鶏をさばくコックたち:ラルュジュンにて*シェルパやポーターたちとのお別れ会では、特別料理が作られる。この夜は、鶏をさばいて、スペシャル《鳥料理》を用意してくれた。生きた鶏は付近の村から調達してくることもあるが、ポーターたちが特製の籠にいれて持って来ることもある。

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30*お別れパーティー:ラルュジュンにて*お別れパーティーはシェルパ・ポーターたちとの合同パーティーになる。お別れ会には付近の住民も参加することもあり、この夜も、ラルジュン村の若い娘たちが参加してくれた。お別れパーティーも酒が入るとネパールや日本の歌声が響き渡る頃には最高潮となる。(写真中央、若い娘さんとダンスに興じているのが私である。)

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31*ラルジュン村の長老たち:ラルュジュンにて*宿泊地には地元の住民たちが訪れてくれる。子供たちが多いが、この日は長老がお出ましになった。スナップを頼むと機嫌良くポーズをとってくれた。
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32*迎えのヘリコプター到着:ラルュジュンにて*ポカラへの帰り便はヘリコプターをチャターした。帰り支度をしてカリ・ガンダキ川で待っていると定刻通りに迎えに来てくれた。ラルジュン村の人たちが村総出でヘリ見物に押し掛けてきた。

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33*朝焼けに染まるマチャプチャレ峰(Machhapuchhare 6998m):ポカラ・ペア湖にて*ポカラ到着後、ペア湖畔のホテルで休養したが、この湖畔からは、アンナプルナ山群が朝日に何回も染まってくれた。

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34*ペア湖の湖面に倒影するアンナプルナ南峰(Annapurna South 7219m):ポカラ・ペア湖にて*ここの湖面に倒影するアンナプルナ山群の写真は有名で、とくに、無風の湖面に赤く染まったアンナプルナ南峰は素晴らしいの一言に尽きる。

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35*ヒマラヤ桜満開:ポカラ・フィッシュテール・ホテルにて*このホテルは庭園がすばらしく、南国調の花々が咲き誇り、庭園の一角では《ヒマラヤザクラ》が満開であった。ヒマラヤザクラは、ヒマラヤ地方に分布し、11月から12月頃にかけてソメイヨシノに似た花が咲く。日本でもヒマラヤザクラは横浜青葉区藤が丘地区センターに植えられており、毎年、12月中旬ごろ「花見」を楽しむことができる。このヒマラヤザクラは高橋佳晴氏(ヒマラヤの高山植物の研究家・写真家)が植えたもので12月中旬から1月初旬まで咲いている。この年も日本で4月に花見をしているので二回目の花見を楽しむことが出来た。(ポカラで咲いていたヒマラヤザクラはNO39《マナスル三山紀行1998》を見てください)。

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36*撮影スナップ:ダウラギリ連峰をバックに:2000/10:ネパール・プーンヒル3900m*   《完》
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by chusan8611 | 2008-12-16 12:25 | ヒマラヤ・トレッキング
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NO41:カンチェンジュンガ&マカルー紀行1999

《カンチェンジュンガ》という山名は、チョモランマ(エヴェレスト)と共に語感が良く、私の好きな山の一つです。ネパールとインド・シッキム州の国境に聳えるこの高峰は、1850年ごろまでは「世界最高峰」の山と考えられたほど実に山容の大きな山です。ヒマラヤ山脈の最東端に位置するのがカンチェンジュンガ峰で、成田からネパール・カトマンズ空港に行く途中、カトマンズ空港が近づくと、飛行機の右窓側に飛び込んでくるのがこの高峰です。1997年のヒマラヤ巡礼のとき、飛行機から見たヒマラヤ山脈でも、この山は特に印象深く、いつの日か撮影したいと思っていました。

カンチェンジュンガ(Kangchenjunga)はエヴェレスト(8848m)、K2(8611m)に次ぎ、世界第三位の高峰(8586m)です。ヒマラヤ巡礼をはじめた1997年にはエヴェレストを撮影したので、いつかは、カンチェンジュンガと決めていました。丁度運良く、ヒマラヤ観光の宮原社長から誘いがあり、川口邦雄先生(日本山岳写真協会長:友山クラブ代表)の撮影ツアーに同行出来ました。川口先生とは1997年のエヴェレストや1998年のマナスル撮影行でもご一緒でした。川口先生とはこれらのツアーがご縁でお付き合いがはじまり、その後、「日本山岳写真協会」や「友山クラブ」などへ入会し、本格的な山岳写真撮影を始めました。

撮影場所はネパール・インドの国境近くの《チョーキ・Chouki:3000m》という村の小学校の校庭をキャンプ地にしました。この村の小高い丘(バティバラ)に登ると右手にカンチェンジュンガ山群、左手にはエヴェレスト山群が望見され、とくに、マカルー(Makalu 8463m 標高世界第5位)がエヴェレストの門番のように立ちはだかっていたのが印象的でした。幸い、天候にも恵まれ、思う存分に、朝夕の山群撮影もできましたし、チョーキ村の村人たちとの交流も素晴らしいものでした。
   2008-12-15  加藤忠一記

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01*ビラトナガール空港到着:ネパール・ビラトナガール空港にて*カンチェンジュンガ山群はネパール・インド国境に位置しており、ネパール・カトマンズから国内線を利用する。出発基地は《ビラトナガール》でここからは専用マイクロバスにて宿泊地《ダンクタ》を目指す(所要時間4時間)。

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02*青空果物市場:ヒレの村にて*ダンクタのホテルにて一泊後、登山基地《パサンターブル》を目指すが、途中、道路端の青空果物市場に立ち寄り、大好きなミカンなどを買い求める。市場を開いているのは村のおばさん達でニコニコしながら試食などサービスをしてくれる。袋いっぱいに詰めてもらっても100円と大安売りである

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03*キャンプ地目指して出発:パサンターブルにて*専用マイクロバスはパサンターブルまでで、ここでシェルパ・ポーターたちと合流し、草原のキャンプ地《チョーキ》を目指して出発する。各人のカメラ機材(ザック重量15~20kg)は個人雇用のポーターに背負わせるので身軽でトレッキングが出来る。

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04*トレッキング風景:パサンターブルにて*トレッキング道は土砂道で山岳民族の生活道路のため比較的歩きやすい。石楠花の林を抜け、上り下りをくり返しながらキャンプ地を目指す。

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05*カルカ(牧場)での昼食:パサンターブル近郊にて*途中の昼食はカルカ(牧場)の一角で摂る。もちろん、専用のコックやキッチンボーイがいるので、料理が出来上がるまで付近を散策する。

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06*ポーターたちの笑顔に囲まれて:パサンターブル近郊にて*ポーターたちは、トレッキング出発地のパサンターブル近郊の村々から、サーダー(シェルパ頭)が集めてくる。サーダーもポーターに背負わせるカメラ機材などは高価であることを心得ていて、信用のおける知人たちを採用しているようだ。みんな人の良い若者である。ポーターの労賃はこのツアーで(1999年)一日500円と安い賃金である。それでも現金収入のない山岳民族にとっては貴重な現金収入である(労賃はその後値上がりし、今では1500円から2000円程度と聞いている)。

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07エヴェレスト山群見ゆ:シドアにて*行く手の左手奥に待望の《エヴェレスト山群》が見えてきた。しばらく立ち止まって食い入るように眺めていた。カンチェンジュンガ山群は右手奥かも知れない。

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08*樹間のマカルー:シドアにて*暫くするとマカルー(写真中央)やチャムラン(7319m・写真左)などエヴェレスト山群が樹間に見え隠れし始めてきた。

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09*塩運搬のヤクが行く:シドアにて*塩は生活に欠かせない貴重品である。チベットなどで採れた塩はヤクに背負わせネパール山間部の村々まで運搬される。

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10*バッテイ(茶店)にて:ドゥール・パニにて*小さな村に近づくと《バッテイ》という茶店がいくつか見られる。ここでは地元民に軽食や飲み物が販売されている。

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11*塩運搬基地:チョーキ近郊にて*歩き始めて7~8時間でキャンプ地の《チョーキ》が見え始めてくる。村の手前では塩運搬のヤクたちの休憩所は見えてきた。写真手前の小さな山盛りは燃料用のヤクの糞である。この付近は薪が乏しく、ヤクの糞は貴重な燃料である。

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12*キャンプ地風景1:チョーキにて*キャンプ地はチョーキ村の小学校の校庭を借りることとなった。ここは、エヴェレスト山群のビュー・ポイントで、マカルーやチャムラン、ローツェ、エヴェレストなど屹立のヒマラヤ高峰が遠望できる。

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13*キャンプ地風景2:チョーキにて*この小学校は村の一角で、地面が平で水汲み場も近く、テント宿泊地としては最高の場所である。また、撮影ポイントの《バティバラ》は歩いて一時間ほどの距離であり撮影にも最適地である。

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14*チョーキ村にて*チョーキ村は戸数数十件の小さな山村である。放牧で生活している山村で、われわれが到着すると見物にやってきた。こちらも早速に村探検に出かける。

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15*母子仲良く:チョーキ村にて*路端では母子が仲良く体拭きをしていた。この地でも風呂の習慣がなく、一日一回の体拭きをしているようだ。母子の表情に魅せられワンショット。

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16*チャンで一杯:チョーキ村にて*村風景を撮影していると一軒の家から声をかけられた。家の中に入ると、「先ずはお近づきの印に一杯どうぞ!」と地酒の《チャン》を飲まされた。筒型の容器に入ったお酒をビール感覚で飲んでいた。

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17*エヴェレストの見える小学校の朝礼:チョーキ村にて*ネパールでもエヴェレストの見える小学校なんてそうはないはずである。こちらは大感激であるが、先生や生徒たちはヒマラヤには見向きもしない。

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18*エヴェレストを見ながらの朝食会:チョーキ村にて*早朝からの撮影を終えて朝食となる。グランドにシーツを敷いての朝食会であるが、コックが日本食風にアレンジしてくれた食事は思いのほか美味である。なによりも素晴らしいのは、ヒマラヤを見ながらの食事会である。

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19*撮影ポイント:バティバラにて*撮影ポイントは、キャンプ地から上り坂一時間ほどの小高い丘である。ここに立つとカンチェンジュンガやマカルーが目の前に屹立している。写真はカンチェンジュンガ山群。

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20*雲乱舞とチョルテン(仏塔):バティバラにて*撮影ポイントの丘には、チョルテン(仏塔)が建てられ、タルチョ(祈祷旗)がたなびく。この丘は地元民が祈りに来る神聖な場所である。上空は強風が吹き荒れているのか、雲が乱舞しながら走り去って行った。

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21*曙光マカルーとエヴェレスト山群:バティバラにて*撮影は朝4時起床、撮影機材点検の上、コックの入れてくれたモーニンググ・ティーを飲んでからテントを出発。三脚を立て、カメラ点検をする間もなく、曙光がマカルーの頂上に射し込んでくる。これから30分が勝負どきである。写真右からマカルー:Makalu 8463m,ピーク6:Peak6 6739m(マカルーの左、小さな三角型の雪のピーク)、エヴェレスト:Mt Everest  8848m、ローツェ:Lhotse 8516m、チャムラン:Chamlang 7219m(一番左、細長い山稜)である。
 
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22*赫光マカルー Makalu 8463m:バティバラにて*撮影二日目の早朝は大興奮ではじまった。マカルーの頂上に帯状の雲が広がり始め、その雲に赫光が射し込み、上空の空も真っ赤に染め上げて行った。シェルパやポーターたちもめったに見られないシーンとのこと。“これぞ!ヒマラヤの朝焼け”である。

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23*朝陽のエヴェレスト山群:バティバラにて*早朝のドラマのドラマはわずか数分で終了してしまう。その後は平凡なカラーの世界になってしまう。

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24*赫光のチャムラン Chamlang 7319m:バティバラにて*マカルーが真っ赤に燃え上がると、次いで、その左に位置するチャムラン峰にも赫光が届き、山肌が三段色に染め上がって行く。

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25*白いチャムラン:バティバラにて*赫光が過ぎ去るとチャムラン峰も、たちまちの内に白い世界に変色してしまう。チャムラン右上のエヴェレストの上空には二つの小さな雲が湧き上がって来たのが印象的であった。

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26*朝焼け:バティバラにて*バティバラの丘の東空では、快晴の早朝に朝焼け雲が現れる。明けきらない山稜がシルエットに浮かび、その上空が何段もの雲に染め上がって行く。

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27*朝焼けに燃え上がるカンチェンジュンガ Kangchenjunga 8586m:バティバラにて*東空から朝日が昇り始めると、カンチェンジュンガも赤く燃え上がる。丁度、その頂上に形の良い笠雲が差しかかり、その笠雲に光が射し込み、笠雲が雄叫びを上げ始めた。「ヒマラヤでもめったにしか見られない朝焼けだ!」とシェルパたちが言っていた。

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28*白雲舞い上がるカンチェンジュンガ:バティバラにて*この峰の朝焼けショーも数分で終了し、その後には白い雲が踊り猛っていた。写真左はジャヌー:Jannu 7710mである。

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29*残照に染まるカンチェンジュンガとジャヌー:バティバラにて*バティバラの丘の撮影では、夕方になると雲に覆われることが多く、エヴェレスト山群やカンチェンジュンガは夕照に染まることは少なかった。それでも、下山前日の夕方、待望の夕陽に染まるカンチェンジュンガを見ることが出来た。朝焼けのように強い光ではないが、山肌がやわらかな残照に染まる様もすばらしい。写真左の奇峰はジャヌーである。

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30*空撮:エヴェレスト山群*撮影終了後、ビラトナガール空港からカトマンズに帰る途中、空港を飛び立つとすぐにヒマラヤ山脈が飛び込んでくる。すぐ近くに、ヒマラヤ山脈東端のカンチェンジュンガが見える。間もなくエヴェレスト山群が見えてきた。写真中央、雲上がるのがエヴェレスト、その右がローツェである。 航空機からのヒマラヤ山脈大展望はいつ見ても感動である。   

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31*撮影スナップ:カンチェンジュンガを撮影する(写真右端):1999/10:ネパール・チョーキ・バティバラ3500m* 《完》
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by chusan8611 | 2008-12-16 11:33 | ヒマラヤ・トレッキング
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NO39:マナスル三山・トレッキング紀行1998

ヒマラヤン・トレッキング~Himalayan Trekking~の第三回投稿はマナスル三山です。ヒマラヤには標高8000mを超える高峰《ヒマラヤン・ジャイアンツ Himalayan Giants》が14座ありますが、そのうち、日本登山隊が初登頂したのが、8番目の巨峰・マナスル:Manaslu 8163mです。

マナスル三山とは、マナスル(8163m)とその南に位置するP29(7871m)、ヒマル・チュリ(7893m)を指し、いずれも日本隊が初登頂を果たした山で、《日本人のヒマラヤ》と言われています。

*マナスル Manaslu 8163m 1956年5月9日 日本山岳会登山隊初登頂
*ピーク29 Peak 29 7871m(マナスルの南) 1970年10月11日 大阪大学登山隊初登頂
*ヒマル・チュリ Himalu Chuli 7893m(マナスルの南東)1960年5月24日 慶応義塾大学登山隊初登頂 

マナスル初登頂は戦後日本の大事業としてマスコミに報道され、日本各地で「登頂講演会」が開催され、私も槇有恒隊長の講演会を聞きに行きましたし、写真集や登頂記も読み漁り、いつの日かマナスルを見てみたいと念じていました。

これらマナスル三山はネパール・ヒマラヤのほぼ中央に位置し、その展望台へトレッキングするのにもカトマンズから近く、比較的入山しやすい山群です。
私はカトマンズからマナスル山群の展望台《バーラポカリ尾根3500m》にはヘリコプター・チャーター便で行き、ポーターたちと合流後、キャンプ地に直行、バーラポカリ尾根にテント泊をしながら撮影しました。
トレッキングの模様などを投稿しますのでご高覧ください。

  2008-11-28  加藤忠一記

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01*キャンプ地にヘリ着陸:バーラポカリ尾根3200mにて*カトマンズ空港から約50分で撮影地尾根へ到着、宿泊テントから出迎えのシェルパ&ポーターたちの出迎えを受ける。一挙に3500m地点に着陸すると高山病症状が出るので、ひと休みしてから目的地のキャンプ地に出発する。

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02*キャンプ地へ出発:バーラポカリ尾根3200mにて*カメラザックなどの荷物は出迎えのポーターたちが背負ってくれるので、キャンプ地へは身軽になり周囲の景色を見ながらのトレッキングとなる。尾根道は平坦で歩きやすく、ヘリコプター着陸地から約2時間でキャンプ地に到着できた。

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03*バーラポカリ尾根の景観:バーラポカリ尾根3100mにて*《バーラポカリ》とは現地語で「12の湖」という意味とのこと。尾根筋の池にはマナスル三山が投影し、周囲はシャクナゲの大木が生い茂り、見事な景観である。

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04*バーラポカリ尾根のキャンプ地:バーラポカリ尾根3100mにて*カトマンズから先行(ポーターたちはカトマンズ近郊の村から何泊もしながらテント資材・食糧そのたの荷揚げをして、キャンプ地にてテント設営して我々一行を待つ)したポーターたちがテントを設営してくれた。尾根筋の平坦地にテント(一人テント)が設営され、木々の向こうにマナスル三山が望見できる。

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05*バーラポカリ尾根の撮影ポイント:バーラポカリ尾根3100mにて*キャンプ地から撮影ポイントまでは徒歩で30~40分で、ここからは眼前にマナスル三山が屹立している。朝夕の二回、このポイントから撮影を行う。11月ともなると早朝はかなり冷え込み、朝は霜柱も立ち水溜りには氷も張る(写真左からマナスル・ピーク29・ヒマルチュリ)。

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06*バーラポカリ尾根の夕焼け:バーラポカリ尾根3100mにて*ある夕方、ピーク29が雲間から顔を出し、真っ赤に燃え始めたのを撮影していたとき、ふと、後方(西)を振り返ると見事な夕焼け空が展開していた。まるで《サバンナの夕焼け》を見ているようであった。

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07*バーラポカリ尾根の朝焼け:バーラポカリ尾根3100mにて*ヒマラヤの空は澄んでいて、標高も高いことから東の空は見事な朝焼けを見せてくれる。夜明けから日の出まで何段もの色変化が展開される。

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08*夕日に燃えるピーク29:バーラポカリ尾根3100mにて*この日は、朝からマナスル三山にかけ雲が厚く立ちこめ、夕方になっても空模様に変化が見られなかった。諦めてテントへ帰ろうかと思っていた瞬間、ポーターが“出たー!”と叫んだ。ピーク29の谷間からの雲が開き始め、雲間から稜線が顔を出し、ついに、頂上を覆っていた雲がとれ、真っ赤に燃えたピーク29が現れた。

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09*夕陽に染まるラムジュン・ヒマール6893m:バーラポカリ尾根3100mにて*ピーク29の《ドラマ》が一段落すると、マナスル左方のラムジュン・ヒマールがわずかな夕陽に頂上付近を赤く染め始めた。稜線下の谷間から上がる白い雲とのコントラストがすばらしい。

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10*紅彩ヒマルチュリ7893m:バーラポカリ尾根3100mにて*マナスル三山では一番南に位置するヒマルチュリも頂上から雲が取れ始め、雄大な山稜を赤く染めていた。

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11*残照に輝くマナスル8163m:バーラポカリ尾根3100mにて*ピーク29やヒマルチュリが夕日に染まってくれたが、主峰のマナスルは赤く染まることなく、間もなく残照も消え去っていった。

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12*夜明けのマナスル(左)とピーク29(右):バーラポカリ尾根3100mにて*早朝の寒さの中、バーラポカリ尾根の撮影ポイントにて夜明けを待つ。第一光はマナスルの東壁にとどき始める。間もなく、ピーク29の稜線にも光がとどき、稜線上に雪煙が上がるにも望見出来る。

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13*朝光を浴びるピーク29 7871m:バーラポカリ尾根3100mにて*ピーク29の稜線にとどいた朝光は次第に岩壁全体を覆い始める。

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14*朝光を浴びるヒマルチュリ 7893m:バーラポカリ尾根3100mにて*マナスル三山の朝光はヒマルチュリの山稜にもとどき、稜線のいたるところが白く輝き始め、さかんに雪煙を上げはじめた。

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15*昼食休憩地:バーラポカリ尾根下部2500m付近にて*バーラポカリ尾根での撮影を終え、キャンプ地からから尾根道を下山し、タクサール村(1600m)のキャンプ地を目指す。タクサール村まで約8時間の行程で、途中、尾根末端で昼食休憩をする。

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16*ポーターたちの昼食:バーラポカリ尾根下部2500m付近にて*ポーターたちは撮影地でも持参の毛布一枚をかけ夜を過ごす。11月初旬の早朝は零下まで気温が下がり、「寒くないか」と尋ねると、「慣れているから平気」との答えが返ってくる。この日の彼らの昼食も、持参した米を煮て、それに尾根の谷間から摘んできた《野草》と《岩塩》を入れて、日本流の《オジヤ》みたいにして食べていた。

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17*生活道を行く:バーラポカリ尾根下部2000m付近にて*キャンプ地のタクサール村に近づくと、農作業の村人や家畜と行き交う。下山道は生活道路なので、彼らの邪魔にならないように気をつけて通り過ぎる。

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18*大樹の下を行く:タクサール村1600mにて*この辺りまで下がると道幅も広くなり下り坂が続く。植生も変わり落葉樹の大木が道の両側に見え始める。

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19*水汲み場風景:タクサール村1600mにて*最終キャンプ地のタクサール村の入口に水飲み場があり、村人が水汲みに来たり、牛たちも水飲みに集まって来ていた。ここでは朝夕、村のおかみさんたちの《井戸端会議》も開かれよう。

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20*タクサール村小学生の大歓迎:タクサール村1600mにて*キャンプ地はタクサール村の小学校の校庭(野原)を借りてテントを張ることにした。小学校に着くと村中の子供たちが出迎えてくれた。どの顔も笑顔での歓迎である。

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21*タクサール村民の歓迎会:タクサール村1600mにて*小学校の校庭の賃料(小学校改修費用の一部にと寄付も添えた)を払うと、夕方から村長さんはじめ村人たちがわれわれのテント場を訪問し、歌と踊りの歓迎会を開いてくれた。私にも野花で作られたレイをプレゼントしてくれた。

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22*タクサール村の段々畑:タクサール村1500m付近にて*タクサール村も傾斜地のため、棚田風の段々畑が続く。標高も1000m地帯で、気候も亜熱帯気候のため、ポインセチアが咲き、バナナの木も多く見られる。

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23*ポインセチアの大木:*タクサール村1000m付近にて*ネパールというと、すぐに《雪と氷の世界》を連想するが、この国は、いわば、《垂直の国》で下は標高300m~500mの草原地帯から上は8000mの高山帯が混在している。タクサール村でも1000付近では、ポインセチアなどの熱帯植物も咲き乱れ、バナナがたわわに実っている。

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24*ヒマラヤ桜:タクサール村1000m付近にて*11月にはカトマンズ郊外やポカラなどでも《ヒマラヤザクラ》をよく見かけるが、タクサール村でも大きなヒマラヤザクラが満開であった。ヒマラヤザクラは、ヒマラヤ地方に分布し、11月から12月頃にかけてソメイヨシノに似た花が咲く。この年は横浜で桜を見ているので二回目の桜見物となった。

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25*牛を使っての脱穀作業:バレク・サング村700m付近にて*この頃は麦などの収穫期で、7~8頭の牛を使っての脱穀作業が見られた。かっての日本の田舎で見られた風景である。畑の向こうにはマナスル三山が望見された。

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26*吊り橋を行く:バレク・サング村700m付近にて*この吊り橋を渡るとポカラに通じるバス道があり、出迎えのバスも待機している。ここで苦楽を共にしたポーターたちとも別れポカラへと向かい、ポカラからは定期便でカトマンズへ帰った。   
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27*撮影スナップ:マナスルをバックに:1998/11:ネパール・バーラポカリ尾根3600m* 《完》
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by chusan8611 | 2008-11-28 14:21 | ヒマラヤ・トレッキング
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NO38エヴェレスト街道トレッキング紀行1997

1997年11月に《アンナプルナ山群》の撮影を終え、一旦、カトマンズに帰ってから、エヴェレストを撮影するため、シャンボチェに向かい、エヴェレスト撮影をして来ました。

ご存知の通り、エヴェレスト:Mt Everest・8848mは世界の最高峰・Top of The Worldですが、この最高峰の撮影場所として簡単に行けるのが、シャンボチェ(標高3800m)にある《ホテル・エヴェレスト・ビユー》です。
このホテルは、私の知人でもあるヒマラヤ観光の宮原さんが経営するホテルで、世界各地から観光客が押し寄せます。ホテルの各部屋からはエヴェレストを眺望でき、ベランダからも撮影が出来るエヴェレストのビューポイントです。

さて、エヴェレストは1850年頃までは三角測量の番号名称である《ピーク15》と呼ばれていましたが、1852年に測量データの計算の結果、《世界最高峰》であることが発見され、インド測量局長官として功績のあった「ジョージ・エヴェレスト」の名前がつけられ、以来、エヴェレスト峰が世界最高峰として世に知られ、名称が固定されるようになりました。しかし、エヴェレストはネパール・中国チベットの国境に位置することから、今でも、ネパールでは現地語で《サガルマータ》、中国では《チョモランマ》と呼ばれています。私はチベット語の《チョモランマ》という呼称が大好きで、あまりエヴェレストとは呼んでいません。

エヴェレストの撮影展望台としては、ネパール側からはシャンボチェ(3800m)やカラパタール(5500m)、ゴーキョピーク(5300m)などがあり、中国側からはパンラ峠(5100m)やチョモランマ・ベースキャンプ(5200m)などがあります。私も2003年にゴーキョピーク、2005&2006年にチョモランマ・ベースキャンプに行きましたが、エヴェレストの眺望としては、チベット側のチョモランマBCの方が気に入っています。

シャンボチェ(3800m)へは、1997年当時、カトマンズから小型飛行機が就航していて、カトマンズから50分ほどで行くことが出来ましたが、翌年、この飛行機がヒマラヤ山中に墜落し、現在はカトマンズからルクラ行きの定期便を利用せざるを得なくなりました。

私が訪ねたシャンボチェは新雪も降り、快晴の日にはエヴェレスト山群を思う存分撮影出来ました。そのときの作品を投稿してみます。     2008-11-20  加藤忠一記

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01*エヴェレストへの登山基地:シャンボチェ飛行場にて*私が最初にシャンボチェに行った時(1997年)には、カトマンズからの小型飛行機がシャンボチェ飛行場へ就航していた。カトマンズから50分ほどで到着する。シャンボチェ飛行場は急な崖の上にあり、滑走路は上向きに作られていて、着陸と同時に急ブレーキをかけると自然に滑走路上に停止出来るように設計されているようである。土煙を上げて着陸するとタムセルクが出迎えてくれた。(写真後方の山:タムセルク)

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02*エヴェレスト街道への道:シャンボチェにて*現在はシャンボチェ飛行場が閉鎖され、時々、ヘリコプターのチャーター便が離着陸しているようである。当時はここが《エヴェレスト街道》への出発地で、高度順応してから出発となる。(写真中央の山:アマダブラム)

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03*コンデ・リ山群に架かる彩雲:シャンボチェにて*シャンボチェを出発して間もなく、後方を振り向くとコンデ・リ(6187m)の上空に彩雲が出ていた。雲の形と色具合を見ながら、早速、PLフイルターを装着して撮ってみた。

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04*エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*《ホテル・エヴェレスト・ビュー》は、サガルマータ(エヴェレスト)国立公園内シャンボチェに立地し、客室12部屋、収容定員24名の山岳ホテルで、客室からエヴェレスト山群を眺望できる素晴らしいホテルである。ホテル到着の翌日は雪となり、テラス周辺も雪化粧していた。(写真後方の山:クンビラ5761m)

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05*夜明け前のエヴェレスト山群:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*夜明けのエヴェレスト山群を撮影しようと早朝4:00ごろベランダに出て見るとローツェに雲がかかっているものの、ヌプツェ・エヴェレスト・アマダブラムなどがくっきりと見渡せた。この写真は露光20分で撮影したが、多少曇っていたため星が切れてよく写っていない。肉眼ではまだ暗かったが、長時間露光のため山稜が昼間のように撮影されている(写真左からタウツェ・エヴェレスト・ローツェ・アマダブラムである。なお、写真やや中央右方の灯りはタンボチェ僧院の灯りである)。

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06*夜明け前のアマダブラム・Ama Dablam 6812m:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*夜明け前のエヴェレスト山群は、薄暗闇の中、静まりかえっている。そんな中、アマダブラム右方の東の空が明るくなり始め、夜明けの光が射しこもうとしていた。

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07*夜明け前のタムセルク・Tamserku 6623m :エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*アマダブラムの右方にはタムセルクが屹立しているが、ここにもまだ光は射しこんでこない。タムセルク後方に位置するカンテガ・Kangtega 6779m上空の雲が染まり始めてきた。間もなく夜明けの第一光が射しこんでくる。

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08*明け行くタムセルク:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*朝一番の光が射しこもうとするとタムセルクの上空一面に雲が乱舞し始めた。タムセルクの頂上も白み始めてきた。

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09*夜明けのタウツェ・Tawetse 6501m:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*エヴェレストの左に見えるタウツェの稜線にも光が届き始める。

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10*夜明けのエヴェレストとローツェ:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*エヴェレストの東壁(チベット側)へは朝日が届き、東壁は赫光に染まっていると思われるが、ネパール側に位置するシャンボチェは西側のためまだ光が届いていない。しかし、エヴェレストとローツェの上空の雲にはひかりが届き始め赤く染まり始めてきた。

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11*:明け行くエヴェレスト・Mt Everest 8848m:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*漸く、エヴェレストの頂上付近が白み始め、手前のヌプツェ稜線もくっきりと見えはじめ、エヴェレスト上空の雲も染まりはじめてきた。

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12*明け行くローツェ・Lhotse 8516m:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*ローツェ上空も染まりはじめて来る。

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13*朝日射しこむタムセルク:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*しばらくすると、タムセルクの右方から第一光が射しこみ、《朝光のドラマ》が開演となる。タムセルク左上のカンテガは光が一面に射し込んでいる

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14*朝日射しこむヌプツェ・Nuptse 7855mとエヴェレスト:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*太陽が昇り始めるとエヴェレスト前方のヌプツェの壁も輝きを増してくるが、エヴェレストの西壁には全く光が届いていない。しかし、わずかに南東稜には光があたり始めたようである。

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15*朝日に輝くローツェ:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*朝日がローツェの壁全体に差しこみ、ローツェの周囲から雲が湧き立ってきた。

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16*新雪のアマダブラム:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*朝のアマダブラムは新雪に輝き、ホテル・エヴェレスト・ビユーのテラスの向こうの樹氷にも光が射しこんできた。

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17*朝日に輝くアマダブラム:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*エヴェレストの南南西に位置するアマダブラム峰は、エヴェレストの門番のように両肩を張って太い首をやや傾けて立っている。その立ち姿はヒマラヤ連峰の中でも際立っており、世界の名峰の一つにランクされている。なお、アマダブラムとは《母親の首飾り》という意味だそうである。

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18*新雪のタムセルク:シャンボチェにて*新雪の朝、シャンボチェ周辺を散歩し、樹氷の木々を撮影する。紺碧の空に映える樹氷をバックにタムセルクが輝いている。

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19*雲間のタムセルク:シャンボチェにて*午前中の斜光線が射しこむタムセルクを撮影に、シャンボチェ飛行場付近の丘に出かけてみた。丁度、手前の丘に見えるロッジに光が射しこみ、その上空の雲間からタムセルクが氷壁を見せ始めた。

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20*雲湧くタムセルク:シャンボチェにて*タムセルクはシャンボチェ飛行場か真正面に見え、ヒマラヤ襞をつけた峻峰である。とくに雲の湧き立つ中のタムセルクは、私が好んで撮影する名峰の一つである。

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21*朝日に輝くタウツェ:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*午前中の光を山容全体で浴びて立つタウツェ峰は実に雄大である。写真左下に見えるモンラ峠(4200m)にも朝日が射しこんで見える。

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22*新雪のエヴェレスト山群:エヴェレスト・ビュー・ホテルのテラスにて*この日の朝のシャンボチェ周辺は新雪に覆われ、木々は樹氷を纏い、彼方のエヴェレスト山群も朝日を浴びて輝いていた。(写真左からタウツェ6501m、雲に覆われているのはエヴェレスト8848m、その右ローツェ8516m、一番右アマダブラム6812mである)  
                                       
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23*撮影スナップ・アマ:ダブラムをバックに:1997/10:ネパール・シャンボチェ3800m* 《完》
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by chusan8611 | 2008-11-28 13:24 | ヒマラヤ・トレッキング
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NO37:アンナプルナ南峰トレッキング紀行1997

私がヒマラヤに興味を持ち始めたのは、1953年7月に白水社より刊行された「処女峰アンナプルナ」を読んだ時からです。1950年6月5日、モーリス・エリゾークを隊長とするフランス隊は、幾度も偵察を重ねた上でヒマラヤ8000峰の頂上に《人類初の足跡》を印したのです。しかし、その代償として下山中に嵐につかまり、生死の境をさまようことになります。本書は、初登頂を支えた隊員たちの友情と生還に向けての凄惨な脱出行を描いた不朽の名著です。

高校生の頃にこの本を読んで、ヒマラヤの高峰に憧れと興味を持ちはじめたのでした。1997年の夏から始めた私の《ヒマラヤ巡礼》の初巡礼も、この山「アンナプルナ」の見える場所へのトレッキングにしたかったのですが、1997年の秋に漸く実現しました。もっとも、モーリス・エリゾークが初登頂したのは「アンナプルナⅠ峰・AnnapurnaⅠ・ 8091m」ですが、私が初めて見て、撮影したのは「アンナプルナ南峰」です。しかし、アンナプルナ南峰も「どこまでも高く、そして大きい」山で圧倒されました。撮影場所は「オーストリァン・キャンプ地」からですが、天候にも恵まれ、ヒマラヤ高峰の表情を捉えることができました。

この時の撮影行は、山岳写真家・川口邦雄先生(先生にはこのヒマラヤン撮影ツアーで知り合い、その後、先生の薦めで友山クラブや日本山岳写真協会に入会し、私の本格的ヒマラヤ撮影が始まりました)、カトマンズへのフライトもJALのチャーター便が就航し、関西国際空港からの直行便で快適な空の旅を満喫しました。

2008-11-17  加藤忠一記 

                            
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01*トレッキング・ロード1:ルムレにて*ネパールヒマラヤのアンナプルナ山群登山基地である《ポカラ》でシェルパ(登山ガイド)とポーター(荷物運搬&食事担当)たちと合流し、マイクロバスにて山村・ルムレに向かう。ここからアンナプルナ山群の展望台《オーストリアンキャンプ》へは一泊二日の旅となるが、途中の道は、住民の生活道路で何度も牛や羊とも出会う。

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02*農村風景1:チャンドラコットにて*トレッキング道路の左右は、標高4000m付近までは畑が続き、四季折々の作物が植えられている。この付近ではヒエやアワが栽培されていた。

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03*農村風景2:チャンドラコットにて:*この地帯の農民住居は茅葺の粗末な小屋もあり、狭い耕地は段々畑が果てしなく続く。

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04*チャンドラコットの村風景:チャンドラコットにて*トレッキング初日はチャンドラコット(標高1500m)という小さな部落の畑を借りてテント宿泊となる。標高が低くブーゲンビリアなどの花が咲き乱れ、日干し煉瓦の家並みが美しい。

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05*チベット族の青空市場:チャンドラコットのテント場にて*チャンドラコットはアンナプルナ方面へのツアーでよく利用されているテント宿泊地で、ここでは、朝早くからチベット族の青空市場が開かれ、観光みやげが売られていた(写真左:ヒウンチュリ・Hiunchuli 6,441m、写真右:マチャプチャレ・Machhapuchhare 6993m)。

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06*チャンドラコットの村風景2:チャンドラコットにて*オーストリアン・キャンプ地へは谷合いの村々を通り過ぎて行くが、その谷間は段々畑が続き、彼方にはアンナプルナの名峰が見え隠れする(写真左:アンナプルナ南峰、写真中央左:ヒウンチュリ、写真右マチャプチャレ)。

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07*チャンドラコットの村風景3:チャンドラコットにて*11月中旬は天候が安定し、毎日《日本晴れ》が続いた。畑が朝陽の斜光線に輝き、谷間の向こうにアンナプルナ山群が聳え立つ。

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08*着生ラン:オーストリアン・キャンプ地下部にて*オーストリアン・キャンプ地途中の樹林帯には紫・ピンク・白と色とりどりの着生ランが咲いている。

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09*オーストリアン・キャンプ地にて*オーストリアン・キャンプ地は標高2,200mと低地で高山病の心配もなく、整地された快適なキャンプ地である。早速、シェルパ&ポーターが宿泊テントや食堂テント、トイレテントなどを手際よく張ってくれる。

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10*アンナプルナ山群の眺望:オーストリアン・キャンプ地にて*このキャンプ地からのアンナプルナ山群の眺望は、まさに天下一品である。紺碧の空に形の良い雲をまとい、アンナプルナ1峰(8091m)は望見できないものの、アンナプルナ南峰(7219m)・ヒウンチュリ(6441m)・マチャプチャレ(6993m)・アンナプルナⅣ峰(7525m)・アンナプルナⅡ峰(7937m)とアンナプルナ山群の名峰が連なって見える(写真左から)。

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11*オーストラリアン・キャンプ地の日の出:オーストリアン・キャンプ地にて*一般的にヒマラヤの朝焼けや夕焼け、星空などは、標高が高いことや空気が澄んでいることから実に見事である。この日の《日の出》も大きく・真っ赤な太陽が昇り始め、アンナプルナ山群上空の朝焼けを予感させた。

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12*笠雲燃えるアンナプルナ南峰:オーストリアン・キャンプ地にて*東の空から走り込んだ朝日の第一光はアンナプルナ南峰に架かっていた笠雲の中を走り抜けて行った。同時にその笠雲が赤く染まって行く。カメラマンにとって《至福》の瞬間である。

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13*曙光のアンナプルナ南峰:オーストリアン・キャンプ地にて*朝日が昇り始めるとアンナプルナ南峰の頂上に日が射し込み、頂上付近が赤くぽつんと染まり始める。

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14*真っ赤に染まるアンナプルナ南峰:オーストリアン・キャンプ地にて*頂上に射し込んだ曙光は次第に下部に移動し、アンナプルナ南峰全体に光が届いた瞬間、峰の全体が真っ赤に燃え、《雄叫び》を上げ始める。

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15*ピンク色のアンナプルナ南峰:オーストリアン・キャンプ地にて*真っ赤な光のショーが数十秒で終わると山稜は淡いピンク色になって行く。

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16*白さに変わるアンナプルナ南峰:オーストリアン・キャンプ地にて*アンナプルナ南峰の《朝焼けシヨー》は数分で終わり、最後は白っぽい光に山容が包まれて行く。

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17*白きアンナプルナ南峰:オーストリアン・キャンプ地にて*数分の朝焼けショーが終わると、カメラマンのシャター音も消え去り、キャンプ地に静けさが戻って行く。

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18*アンナプルナⅣ峰とⅡ峰:オーストリアン・キャンプ地にて*オーストリアン・キャンプ地から見てアンナプルナ山群の右手後方にはⅣ峰(7525m・写真左)とⅡ峰(7937m・写真右)を望むことが出来る。

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19*マチャプチャレ Machhapuchhare 6993m:オーストリアン・キャンプ地にて*ヒマラヤの高峰の中でも、このマチャプチャレは形の良さではNO1を誇る名峰である。頂上は双耳峰となり氷壁が朝日に染まる姿は実に神々しい。

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20*カーレ谷の子供たち2:カーレの谷にて*カーレ谷に点在する村々では、まっ先に子供たちの歓迎を受ける。

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21*カーレ谷の子供たち3:カーレの谷にて*ヒマラヤの子供たちはお手製の遊び道具で遊んでいる。この子供たちのお手製遊び道具は《ブランコ》である。

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22*カーレ谷の子供たち4:カーレの谷にて*ヒマラヤの子供たちの笑顔は実に清々しい。この子供は「ナマステー:こんにちは!」と言うと、満面に笑みを浮かべ両手を合わせて「ナマステー!」と応えてくれた。

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23*カーレ谷の子供たち5:カーレの谷にて*ヒマラヤでは風呂に入る習慣がないので(身体は手拭いで拭く程度のようである。乾燥しているので赤ちゃんなどは身体にはオイルを塗っているとも聞く)、多少臭いはするがなかなかの《オシャレ》でポーズもとってくれた。

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24*カーレ谷の子供たち6:カーレの谷にて*この子供のなんという清々しい笑顔であろうか。飴玉をあげるとニコッと笑ってくれた。その笑顔は折からの夕日を満面に受け、天空の一角を見つめていた。ヒマラヤの子供たちの笑顔は数多く撮影しているが、このカーレの子供の笑顔はベスト3にランクされ、私のお気に入りの一枚である。

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25*ポカラ・ペア湖のマチャプチャレ:ポカラにて*撮影終了後、出発地ポカラに戻り、ペア湖にある「フィシユ・テール・ホテル」に宿泊する。このホテルからはアンナプルナ連峰が展望でき、湖面に投影する逆さアンナプルナ連峰はすばらしい(いずれ、朝日に赤く染まる逆さアンナプルナは、別の撮影時に撮影したものを投稿する)。      
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26*撮影スナップ:アンナプルナ連峰をバックに:1997/10:ネパール・オーストリアンキャンプ2800m*
                             《完》
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by chusan8611 | 2008-11-17 20:30 | ヒマラヤ・トレッキング