還暦を機に始めた撮影トレッキングに行ったネパールヒマラヤ・パキスタンカラコルム・ヨーロッパアルプス・日本アルプスなどの山岳写真のほか内外の風景写真を掲載しています。


by chusan8611
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CHUSANの写真ブログ 《 感動発信! 感動共有! 》
NO42:ジョムソン街道・トレッキング紀行2000

1997年(平成9年)12月に、NHK特別番組「風になった男:河口慧海:ネパール百年の旅」が放映されました。この番組は、1900年(明治33年)に仏教の原典を求めて、単身でチベットに入った河口慧海の足跡を辿った物語です。私も偶々この番組を見ましたが、現在のように外国が身近でなかった時代、また、現在に比べ装備、食料、道路事情、気象条件など極めて劣悪な条件の下で、河口慧海は求道者の一心で単身、ヒマラヤを越え、あらゆる困難を克服して、鎖国のチベットに潜入しました。私は、この番組放映後、早速に河口慧海の「チベット旅行記」(講談社文庫本・全5巻)を読んでみて、さらに深い感銘を受けました。

そんなことから、河口慧海の辿ったジョムソン街道をトレッキングして見たいと夢見ていましたが、ヒマラヤ観光主催の「山岳写真家・川口邦雄先生同行:ジョムソン街道&ダウラギリ峰撮影ツアー」の企画を知り参加しました。

河口慧海は、インド・カルカッタを経て、ネパール・カトマンズ~ポカラ~ツクチェ~ジョムソンと入り、カリ・ガンダキ川を上流に遡ってチベットへ行きましたが、私たちは、反対にジョムソンから、カリ・ガンダキ川を下流に向けて下り、ラルジュンまでをトレックしながらダウラギリ峰東面を思う存分撮影してきました。
また、この時期(11月)は、乾季で水が少ないため、カリ・ガンダキ川の河床を歩きましたが、チベット往来のロバ隊やチベット-ネパール間の物資輸送隊など、《塩の交易路》風物などを撮影してきました。

さらに、このツアーでは、ジョムソン入りする前後2回にわたり、経由地《ポカラ》でゆっくり過ごしましたが、ペア湖に投影する朝夕のアンナプルナ山群を撮影したり、ラルジュンからポカラへ帰る途中、ヘリコプターのパイロットに頼みこみ、ダウラギリ&アンナプルナの展望台《プーンヒル》に着陸してもらい、両山群の大展望を満喫して来ました。
2008-12-15 加藤忠一記

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01*ジョムソン空港着陸:ジョムソンにて*経由地《ポカラ》からは国内線でジョムソン飛行場に入ったが、この定期便からのアンナプルナ山群やダウラギリ山群の眺望は実にすばらしい。なお、ジョムソンが近づくと緑の多いネパール的風景は一変し、黄褐色の山岳砂漠帯の風景となる。それにしても、ジョムソン飛行場着陸時のショックの大きさには驚かされた。急角度での着陸と滑走路が硬い岩盤であることが原因らしい。

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02*ジョムソン村にて*ジョムソン(Jomusom 2700m)は、ジョムソン街道の中心地で立派なロッジが建てられ、街も観光客で賑わっている。ここでシェルパやポーターと合流し、カメラポーターの割り当ても行われる。私のポーターは若くて・力持ちの「アイスマン」という。彼にはツアー中、カメラ助手までお世話になった。写真左手の建物は空港管制塔で、その上の山は名峰ニルギル北峰(Nilgiri 7061m)である。

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03*ジョムソン街道を行く:ジョムソンにて*ジョムソン街道はチベットやインドに通じる経由地で両地区に繋がる物資輸送路であり、街道両側には立派なロッジが建てられ、人の行き来も頻繁である。

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04*カリ・ガンダキ川を下る:ジョムソンにて*ジョムソンからはカリ・ガンダキ川の河床につけられた臨時道路を歩く。雨季で増水している時は川沿いに作られた道を行くが(写真中央、崖下に長く続く道が見られる)、今は乾季で河床の道の方が平坦で歩きやすく、距離も稼げるようである(写真左奥はダウラギリ峰の一部岩壁)。

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05*ロバ隊のリダー:ジョムソンにて*この街道は、チベットからの岩塩を輸送する《塩の交易路》になっており、たくさんのロバ隊が往来している。先頭はリダーのロバで装飾も立派で賢そうな面構えである。

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06*干し草輸送のロバ隊:ジョムソンにて*安価で手っとり早い輸送手段は《ロバ》ということになる。このロバ隊は干し草を運んでいた。チベットまで輸送するのであろうか。

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07*材木輸送のロバ隊:ジョムソンにて*チベット地区では材木は貴重品である。多分、ネパール側からチベット方面に運び、高値で取引するのであろう。

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08*地層湾曲帯:ツクチェにて*カリ・ガンダキ川沿いを歩くと思わぬ発見が見られる。この露出した地層帯は、かつて、この付近も海底であった証左である。大規模な隆起で海底にあった岩盤が露出したのであろう。このような風景はいたる所で見られた。

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09*河口慧海の遺品:ツクチェにて*ジョムソンから半日行程でツクチェ(Tukuche 2600m)に到着。ここでテント泊となる。この地には河口慧海の逗留した宿坊があり、河口慧海の遺品が展示されていた。

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10*ツクチェ寺院にて*この地は川口慧海逗留の場所で立派な寺院も建てられている。この《ツクチェ寺院》も石造りの頑強な寺院である。ネパールでもカトマンズなどはインド文化の影響なのか、《煉瓦の文化圏》で日干し煉瓦の家が多いが、チベットに近いこの付近は《石の文化圏》のようで、石造りの家である。なお、写真右奥の山はニルギリ・7061mである。

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11*マルファ村風景1*ジョムソンから歩いて2時間ほどでマルファ村(Marpha・2700m)というチベット風の小さな村がある。この村で昼食を摂り、昼食後、村の散策に出かけた。ここでも石造りの家が立ち並び、狭い石畳道の両側には白壁の多く、独特の雰囲気を醸し出している。村中央の小高い丘の上には、チベット仏教のゴンバ(寺院)が見える(写真中央)。

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12*マルファ村風景2*カリ・ガンダキ川沿いに開かれた村では、川沿いの平坦地が開墾され農作が行われているようである。家々には五色(赤・青・黄・緑・白)のタルチョ(祈祷旗)がたなびいていた。

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13*杏子干しと薪貯蔵庫:マルファ村にて*シェルパの話によれば、この村は裕福な家が多いという。その理由を問いただすと、「家々では薪の貯蔵がなされている。木材の乏しいこの地区では、冬用の暖房や食事作りに《薪》は欠かせない。薪は高価なので、金持ちしか買えない。普通の家では、ヤクや牛の糞をかき集め、乾燥して薪代わりに使う」という。なお、写真中央の黄色い干しものは《アンズ》の干し物である。

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14*マルファ村で出会った少女*マルファ村を散策中、木片を大事そうに抱えた少女に出会った。洋服や赤ぎれた手や顔を見れば、あまり裕福な家の子ではないようである。私が飴をあげ、カメラを向けるとニコッと笑ってくれた。その笑顔のなんとすばらしいことか!。ヒマラヤでたくさんの子供たちと出会い、その素顔を撮ってきたが、この笑顔は今でも忘れられないNO1の笑顔である。

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15*マニ石とマニ車:ツクチェ村にて*この付近の住民も熱烈な《チベット仏教徒》が多いようである。村のあちこちにはマニ石(仏教の経典を彫った石)やマニ車(これを一回転させるとお経を一回読んだことになると言われている)が置かれている。

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16*大きなマニ石とダウラギリ:マルファ村入口にて*マルファ村入口には大きなチョルテン(仏塔)と大きなマニ石が積まれていた。住民たちは、ここを通る度にマニ石に手を合わせ、生活の安全や無病息災を祈って行く(写真上の雪山はダウラギリ峰東面である)。

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17*カリ・ガンダキ川を渡る馬の隊商:ラルュジュン手前にて*ジョムソンからラルジュンまで行くうちに、何度かカリ・ガンダキ川を渡って行く。ロバや馬たちは臆病な動物だから、川を渡るのが嫌いかなと思って見ていると、慣れているせいか、思ったより簡単に橋を渡って行く。

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18*カリ・ガンダキ川を行く馬の隊商:ラルュジュン手前にて*陽が傾き始めたカリ・ガンダキ川の河原を馬の隊商が帰って行く。この河原はチベットを行き来する交易路になっており、一日中、ロバや馬の隊商が往来している。

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19*ダウラギリⅠ峰の東面壁:ラルュジュン村入口にて*ジョムソン街道もこの辺りまで来ると、ダウラギリⅠの東面が真近かに見えてくる。主峰頂上付近では盛んに雪煙が上がっていた。

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20*雪煙上げるダウラギリⅠ峰:ツクチェにて*ツクチェからラルジュンに向かうカリ・ガンダキ川の河原でダウラギリⅠ峰(Dhaulagiri Ⅰ 8167m 標高世界第7位)の東面壁が見事に見えてきた。氷河と氷壁をもった山容は雄大で、紺碧の空はどこまでも青く、頂上付近からは一筋の雪煙が上がっていた。

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21*カリ・ガンダキ川での昼食会:ラルュジュンにて*本格的な撮影は朝夕が中心で、昼間は、カリ・ガンダキ川付近の風物を撮ったり、のんびりと過ごすことが多い。昼食時になるとポーターが呼びに来てくれて、河原での昼食となる。

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22*カリ・ガンダキ川を行くポーターたち:ラルュジュンにて*この河原は地元民の生活道路でもあり、大きな籠を背負ったポーターも盛んに行き来していた。籠の中には野菜や生活物資が積み込まれているのであろうか。

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23*カリ・ガンダキ川を行くロバ隊:ラルュジュンにて*ガンダキ川の上流に向かって荷物を背負った十数頭のロバ隊が進んで行く。河原で横になりながら、これらの風景をのんびりと見ているのも楽しいものである。

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24*カリ・ガンダキ川で出会った修験僧:ラリュジュンにて*河原を行き来する人の中には僧侶の姿も見える。この修験僧はカメラを向けると近寄って来た。シャッターを押すと手を出してくる。モデル代を要求してきた。あまり愛嬌のない顔立ちなので、黙っていると立ち去って行った。チベットにでも修行に行くのであろうか。

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25*雲乱舞のニルギリ峰:ラルュジュンにて*この地からのダウラギリ峰の撮影は撮影方向が東面のため、朝の撮影には適しているが、夕方は陰ってしまい写真にならない。ところが、このニルギリ(Nilgiri 7061m)は、アンナプルナ山群の最西端に位置しているので、夕照が撮影どきである。この日は夕方近くに上空に雲が乱舞し始め、何枚かのシャッターを切ってみた。なお、「ニルギリ」とは《青い山》を意味するそうであり、月光に照らされたニルギリを撮影しようとしたが、夜になると曇ってしまった。

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26*黎明のツクチェ・ピーク:ラルュジュンにて*ここでの撮影は早朝から忙しい。早朝4時に起床し、ポーターの入れてくれたミルクティーを一杯飲んでから、撮影ポイントに向かう。撮影ポイントは、カリ・ガンダキ川を渡った向こう岸でダウラギリ連峰に対峙した場所である。明け方の光線が射し込み始めると、ダウラギリ山群の東端に位置するツクチェ・ピーク(Tukuche Peak 6920m)の頂上上空付近の雲が染まり始めた。

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27*曙光のダウラギリⅠ峰:ラルュジュンにて*ダウラギリ山群の上空に射し込んできた第一光は次第にダウラギリⅠ峰(Dhaulagiri Ⅰ 8167m)に射し込み、頂上がパッと照らされる。この一瞬に集中しシャターを切った。

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28*怪雲上がるダウラギリ峰:ラルュジュンにて*カリ・ガンダキ川でポカラに帰るヘリコプターを待っていた時、ポーターたちが騒ぎ始め、ダウラギリ峰の上空を指さしていた。すると、ダウラギリ峰の上空に様々な形の雲が乱舞していた。急いでカメラをセットして何枚もシャッターを切ってみた。

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29*鶏をさばくコックたち:ラルュジュンにて*シェルパやポーターたちとのお別れ会では、特別料理が作られる。この夜は、鶏をさばいて、スペシャル《鳥料理》を用意してくれた。生きた鶏は付近の村から調達してくることもあるが、ポーターたちが特製の籠にいれて持って来ることもある。

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30*お別れパーティー:ラルュジュンにて*お別れパーティーはシェルパ・ポーターたちとの合同パーティーになる。お別れ会には付近の住民も参加することもあり、この夜も、ラルジュン村の若い娘たちが参加してくれた。お別れパーティーも酒が入るとネパールや日本の歌声が響き渡る頃には最高潮となる。(写真中央、若い娘さんとダンスに興じているのが私である。)

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31*ラルジュン村の長老たち:ラルュジュンにて*宿泊地には地元の住民たちが訪れてくれる。子供たちが多いが、この日は長老がお出ましになった。スナップを頼むと機嫌良くポーズをとってくれた。
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32*迎えのヘリコプター到着:ラルュジュンにて*ポカラへの帰り便はヘリコプターをチャターした。帰り支度をしてカリ・ガンダキ川で待っていると定刻通りに迎えに来てくれた。ラルジュン村の人たちが村総出でヘリ見物に押し掛けてきた。

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33*朝焼けに染まるマチャプチャレ峰(Machhapuchhare 6998m):ポカラ・ペア湖にて*ポカラ到着後、ペア湖畔のホテルで休養したが、この湖畔からは、アンナプルナ山群が朝日に何回も染まってくれた。

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34*ペア湖の湖面に倒影するアンナプルナ南峰(Annapurna South 7219m):ポカラ・ペア湖にて*ここの湖面に倒影するアンナプルナ山群の写真は有名で、とくに、無風の湖面に赤く染まったアンナプルナ南峰は素晴らしいの一言に尽きる。

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35*ヒマラヤ桜満開:ポカラ・フィッシュテール・ホテルにて*このホテルは庭園がすばらしく、南国調の花々が咲き誇り、庭園の一角では《ヒマラヤザクラ》が満開であった。ヒマラヤザクラは、ヒマラヤ地方に分布し、11月から12月頃にかけてソメイヨシノに似た花が咲く。日本でもヒマラヤザクラは横浜青葉区藤が丘地区センターに植えられており、毎年、12月中旬ごろ「花見」を楽しむことができる。このヒマラヤザクラは高橋佳晴氏(ヒマラヤの高山植物の研究家・写真家)が植えたもので12月中旬から1月初旬まで咲いている。この年も日本で4月に花見をしているので二回目の花見を楽しむことが出来た。(ポカラで咲いていたヒマラヤザクラはNO39《マナスル三山紀行1998》を見てください)。

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36*撮影スナップ:ダウラギリ連峰をバックに:2000/10:ネパール・プーンヒル3900m*   《完》
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by chusan8611 | 2008-12-16 12:25 | ヒマラヤ・トレッキング
CHUSANの写真ブログ 《 感動発信! 感動共有! 》
NO41:カンチェンジュンガ&マカルー紀行1999

《カンチェンジュンガ》という山名は、チョモランマ(エヴェレスト)と共に語感が良く、私の好きな山の一つです。ネパールとインド・シッキム州の国境に聳えるこの高峰は、1850年ごろまでは「世界最高峰」の山と考えられたほど実に山容の大きな山です。ヒマラヤ山脈の最東端に位置するのがカンチェンジュンガ峰で、成田からネパール・カトマンズ空港に行く途中、カトマンズ空港が近づくと、飛行機の右窓側に飛び込んでくるのがこの高峰です。1997年のヒマラヤ巡礼のとき、飛行機から見たヒマラヤ山脈でも、この山は特に印象深く、いつの日か撮影したいと思っていました。

カンチェンジュンガ(Kangchenjunga)はエヴェレスト(8848m)、K2(8611m)に次ぎ、世界第三位の高峰(8586m)です。ヒマラヤ巡礼をはじめた1997年にはエヴェレストを撮影したので、いつかは、カンチェンジュンガと決めていました。丁度運良く、ヒマラヤ観光の宮原社長から誘いがあり、川口邦雄先生(日本山岳写真協会長:友山クラブ代表)の撮影ツアーに同行出来ました。川口先生とは1997年のエヴェレストや1998年のマナスル撮影行でもご一緒でした。川口先生とはこれらのツアーがご縁でお付き合いがはじまり、その後、「日本山岳写真協会」や「友山クラブ」などへ入会し、本格的な山岳写真撮影を始めました。

撮影場所はネパール・インドの国境近くの《チョーキ・Chouki:3000m》という村の小学校の校庭をキャンプ地にしました。この村の小高い丘(バティバラ)に登ると右手にカンチェンジュンガ山群、左手にはエヴェレスト山群が望見され、とくに、マカルー(Makalu 8463m 標高世界第5位)がエヴェレストの門番のように立ちはだかっていたのが印象的でした。幸い、天候にも恵まれ、思う存分に、朝夕の山群撮影もできましたし、チョーキ村の村人たちとの交流も素晴らしいものでした。
   2008-12-15  加藤忠一記

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01*ビラトナガール空港到着:ネパール・ビラトナガール空港にて*カンチェンジュンガ山群はネパール・インド国境に位置しており、ネパール・カトマンズから国内線を利用する。出発基地は《ビラトナガール》でここからは専用マイクロバスにて宿泊地《ダンクタ》を目指す(所要時間4時間)。

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02*青空果物市場:ヒレの村にて*ダンクタのホテルにて一泊後、登山基地《パサンターブル》を目指すが、途中、道路端の青空果物市場に立ち寄り、大好きなミカンなどを買い求める。市場を開いているのは村のおばさん達でニコニコしながら試食などサービスをしてくれる。袋いっぱいに詰めてもらっても100円と大安売りである

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03*キャンプ地目指して出発:パサンターブルにて*専用マイクロバスはパサンターブルまでで、ここでシェルパ・ポーターたちと合流し、草原のキャンプ地《チョーキ》を目指して出発する。各人のカメラ機材(ザック重量15~20kg)は個人雇用のポーターに背負わせるので身軽でトレッキングが出来る。

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04*トレッキング風景:パサンターブルにて*トレッキング道は土砂道で山岳民族の生活道路のため比較的歩きやすい。石楠花の林を抜け、上り下りをくり返しながらキャンプ地を目指す。

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05*カルカ(牧場)での昼食:パサンターブル近郊にて*途中の昼食はカルカ(牧場)の一角で摂る。もちろん、専用のコックやキッチンボーイがいるので、料理が出来上がるまで付近を散策する。

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06*ポーターたちの笑顔に囲まれて:パサンターブル近郊にて*ポーターたちは、トレッキング出発地のパサンターブル近郊の村々から、サーダー(シェルパ頭)が集めてくる。サーダーもポーターに背負わせるカメラ機材などは高価であることを心得ていて、信用のおける知人たちを採用しているようだ。みんな人の良い若者である。ポーターの労賃はこのツアーで(1999年)一日500円と安い賃金である。それでも現金収入のない山岳民族にとっては貴重な現金収入である(労賃はその後値上がりし、今では1500円から2000円程度と聞いている)。

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07エヴェレスト山群見ゆ:シドアにて*行く手の左手奥に待望の《エヴェレスト山群》が見えてきた。しばらく立ち止まって食い入るように眺めていた。カンチェンジュンガ山群は右手奥かも知れない。

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08*樹間のマカルー:シドアにて*暫くするとマカルー(写真中央)やチャムラン(7319m・写真左)などエヴェレスト山群が樹間に見え隠れし始めてきた。

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09*塩運搬のヤクが行く:シドアにて*塩は生活に欠かせない貴重品である。チベットなどで採れた塩はヤクに背負わせネパール山間部の村々まで運搬される。

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10*バッテイ(茶店)にて:ドゥール・パニにて*小さな村に近づくと《バッテイ》という茶店がいくつか見られる。ここでは地元民に軽食や飲み物が販売されている。

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11*塩運搬基地:チョーキ近郊にて*歩き始めて7~8時間でキャンプ地の《チョーキ》が見え始めてくる。村の手前では塩運搬のヤクたちの休憩所は見えてきた。写真手前の小さな山盛りは燃料用のヤクの糞である。この付近は薪が乏しく、ヤクの糞は貴重な燃料である。

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12*キャンプ地風景1:チョーキにて*キャンプ地はチョーキ村の小学校の校庭を借りることとなった。ここは、エヴェレスト山群のビュー・ポイントで、マカルーやチャムラン、ローツェ、エヴェレストなど屹立のヒマラヤ高峰が遠望できる。

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13*キャンプ地風景2:チョーキにて*この小学校は村の一角で、地面が平で水汲み場も近く、テント宿泊地としては最高の場所である。また、撮影ポイントの《バティバラ》は歩いて一時間ほどの距離であり撮影にも最適地である。

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14*チョーキ村にて*チョーキ村は戸数数十件の小さな山村である。放牧で生活している山村で、われわれが到着すると見物にやってきた。こちらも早速に村探検に出かける。

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15*母子仲良く:チョーキ村にて*路端では母子が仲良く体拭きをしていた。この地でも風呂の習慣がなく、一日一回の体拭きをしているようだ。母子の表情に魅せられワンショット。

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16*チャンで一杯:チョーキ村にて*村風景を撮影していると一軒の家から声をかけられた。家の中に入ると、「先ずはお近づきの印に一杯どうぞ!」と地酒の《チャン》を飲まされた。筒型の容器に入ったお酒をビール感覚で飲んでいた。

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17*エヴェレストの見える小学校の朝礼:チョーキ村にて*ネパールでもエヴェレストの見える小学校なんてそうはないはずである。こちらは大感激であるが、先生や生徒たちはヒマラヤには見向きもしない。

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18*エヴェレストを見ながらの朝食会:チョーキ村にて*早朝からの撮影を終えて朝食となる。グランドにシーツを敷いての朝食会であるが、コックが日本食風にアレンジしてくれた食事は思いのほか美味である。なによりも素晴らしいのは、ヒマラヤを見ながらの食事会である。

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19*撮影ポイント:バティバラにて*撮影ポイントは、キャンプ地から上り坂一時間ほどの小高い丘である。ここに立つとカンチェンジュンガやマカルーが目の前に屹立している。写真はカンチェンジュンガ山群。

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20*雲乱舞とチョルテン(仏塔):バティバラにて*撮影ポイントの丘には、チョルテン(仏塔)が建てられ、タルチョ(祈祷旗)がたなびく。この丘は地元民が祈りに来る神聖な場所である。上空は強風が吹き荒れているのか、雲が乱舞しながら走り去って行った。

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21*曙光マカルーとエヴェレスト山群:バティバラにて*撮影は朝4時起床、撮影機材点検の上、コックの入れてくれたモーニンググ・ティーを飲んでからテントを出発。三脚を立て、カメラ点検をする間もなく、曙光がマカルーの頂上に射し込んでくる。これから30分が勝負どきである。写真右からマカルー:Makalu 8463m,ピーク6:Peak6 6739m(マカルーの左、小さな三角型の雪のピーク)、エヴェレスト:Mt Everest  8848m、ローツェ:Lhotse 8516m、チャムラン:Chamlang 7219m(一番左、細長い山稜)である。
 
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22*赫光マカルー Makalu 8463m:バティバラにて*撮影二日目の早朝は大興奮ではじまった。マカルーの頂上に帯状の雲が広がり始め、その雲に赫光が射し込み、上空の空も真っ赤に染め上げて行った。シェルパやポーターたちもめったに見られないシーンとのこと。“これぞ!ヒマラヤの朝焼け”である。

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23*朝陽のエヴェレスト山群:バティバラにて*早朝のドラマのドラマはわずか数分で終了してしまう。その後は平凡なカラーの世界になってしまう。

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24*赫光のチャムラン Chamlang 7319m:バティバラにて*マカルーが真っ赤に燃え上がると、次いで、その左に位置するチャムラン峰にも赫光が届き、山肌が三段色に染め上がって行く。

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25*白いチャムラン:バティバラにて*赫光が過ぎ去るとチャムラン峰も、たちまちの内に白い世界に変色してしまう。チャムラン右上のエヴェレストの上空には二つの小さな雲が湧き上がって来たのが印象的であった。

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26*朝焼け:バティバラにて*バティバラの丘の東空では、快晴の早朝に朝焼け雲が現れる。明けきらない山稜がシルエットに浮かび、その上空が何段もの雲に染め上がって行く。

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27*朝焼けに燃え上がるカンチェンジュンガ Kangchenjunga 8586m:バティバラにて*東空から朝日が昇り始めると、カンチェンジュンガも赤く燃え上がる。丁度、その頂上に形の良い笠雲が差しかかり、その笠雲に光が射し込み、笠雲が雄叫びを上げ始めた。「ヒマラヤでもめったにしか見られない朝焼けだ!」とシェルパたちが言っていた。

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28*白雲舞い上がるカンチェンジュンガ:バティバラにて*この峰の朝焼けショーも数分で終了し、その後には白い雲が踊り猛っていた。写真左はジャヌー:Jannu 7710mである。

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29*残照に染まるカンチェンジュンガとジャヌー:バティバラにて*バティバラの丘の撮影では、夕方になると雲に覆われることが多く、エヴェレスト山群やカンチェンジュンガは夕照に染まることは少なかった。それでも、下山前日の夕方、待望の夕陽に染まるカンチェンジュンガを見ることが出来た。朝焼けのように強い光ではないが、山肌がやわらかな残照に染まる様もすばらしい。写真左の奇峰はジャヌーである。

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30*空撮:エヴェレスト山群*撮影終了後、ビラトナガール空港からカトマンズに帰る途中、空港を飛び立つとすぐにヒマラヤ山脈が飛び込んでくる。すぐ近くに、ヒマラヤ山脈東端のカンチェンジュンガが見える。間もなくエヴェレスト山群が見えてきた。写真中央、雲上がるのがエヴェレスト、その右がローツェである。 航空機からのヒマラヤ山脈大展望はいつ見ても感動である。   

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31*撮影スナップ:カンチェンジュンガを撮影する(写真右端):1999/10:ネパール・チョーキ・バティバラ3500m* 《完》
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by chusan8611 | 2008-12-16 11:33 | ヒマラヤ・トレッキング

(40)秩父夜祭2008

CHUSANのBLOG《感動発信!感動共有!》
NO40:秩父夜祭2008

京都祇園祭、飛騨高山祭と並び日本三大曳山(ひきやま)祭の一つと言われている《秩父夜祭》を撮影に行ってきました。この祭りは秩父神社の例大祭で、毎年12月3日に本祭りが行われ、300年以上の伝統ある祭りです。極彩色の彫刻で飾られ、華麗でしかも重厚な《笠鉾・屋台》が名調子の屋台ばやしに乗り、夜空を彩る花火の中で曳き廻される勇壮な祭りです。

この秩父夜祭の撮影は2004年にも行ってきたのですが、一般の観光ツアー(一泊二日)のため観覧席の予約もなく、また、宿泊地までの道路混雑から午後10時には出発してしまい、一番のクライマックス《打ち上げ花火と屋台勢揃い》も撮影できませんでした。そこで今回は、現地で12時間以上の「フリータイム」のある「はとバスツアー」で行き、たっぷりと撮影してきました。

しかし、大変な混雑で、(新聞報道によると今年はウイークデー・水曜日であったので約20万人の人出とのこと。祝祭日が重なると30万人近い人出だそうである)、《秩父神社》から秩父公園の《御旅所》に至る屋台巡行の道路は観光客で溢れ返り、手持ち撮影も出来ない状況です。そこで、屋台集合場所の秩父公園に特設された観光協会観覧席を予約するか、屋台巡行で一番の見どころである《団子坂》付近の私設観覧席を確保するか、いずれかの方法で撮影場所を確保しなければイメージ通りの撮影が出来ないことが分かりました。

そこで、当日の現地視察の結果、《団子坂》が一番の撮影ポイントと分かり、団子坂上の個人宅から私設観覧席を購入して撮影しました。観覧席料は1万円と高かったのですが、団子坂道路に面し各屋台が目の前を通過する絶好のポイントで思う存分の撮影ができましたし、屋台集合場所の《御旅所》もすぐ上で、打ち上げ花火を入れながらの撮影も楽しみました。

今年は、チベット方面が中国社会情勢悪化により外務省から渡航自粛が出されたため、2回予定していたヒマラヤ行きを延期しました。そこで、《日本祭りシリーズ撮影》を思い立ち、4月に《飛騨高山祭》、7月は《京都祇園祭》、8月は《青森ねぶた祭&秋田竿灯祭&仙台七夕祭》と祭りを《追っかけ撮影》してきました。そのほか《《諏訪大社御柱祭》なども撮影していますので、いずれ《日本の祭り》と題して写真展やホームページなどを公開出来ればと思っています。    2008-12-5  加藤忠一記

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01*秩父夜祭パンフレット*秩父観光協会で入手したパンフレットである。新聞やテレビの報道によれば、今年中に秩父夜祭を《世界無形文化遺産》として登録申請予定するそうである。


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02*祭り会場に向かうはっぴ姿の娘たち:国道299号線にて*屋台出発場所である秩父神社への道路は何処も祭り一色で飾られ、食べ物屋台やお土産露店がびっしりと立ち並んでいる。この時間帯(PM3:00)ではまだ人混みは見られないが、屋台巡行ともなると見物人でごった返し身動きも出来ない状況となる。

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03*秩父名物《いのしし肉》販売店:秩父神社通りにて*この日は商店にとっても一番のかきいれどきで、20万人近い客を呼び入れようと張りきって店の飾り付けをしている。いのしし肉は秩父名物で味噌づけや燻製肉などが店頭に並んでいる。

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04*中町会所の出番待ち:秩父神社通りにて*各屋台を出す町会の《会所》では屋台町内の人たちが景気づけの祝い酒を飲みながら談笑し、屋台出発までの時間を過ごしていた。

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05*腹ごしらえ:秩父神社通りにて*秩父神社通りには各屋台が陳列され、その前では屋台の引き手たちが食事をしながら出発準備に余念がない。この屋台は《本町屋台》である。

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06*練習:秩父鉄道・秩父駅前にて*秩父鉄道駅前には特設ステージが設けられ、子供たちの太鼓演奏など屋台出発まで見物人に各種演奏をサービスしている。

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07*秩父鉄道SL《秩父夜祭号》:秩父鉄道秩父駅にて*駅前にてスナップ撮影をしていると駅構内から秩父夜祭の特別列車SLが入線するアナウンスが聞こえたので、慌てて入場券を購入しホームへ行ってみると、やがて観光客を満載したSLが入ってきた。右側の踏切付近は見物人でごった返している。写真上部の山は秩父の名峰《武甲山》である。

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08*出番準備の宮地屋台:秩父神社にて*各屋台は所定の一時陳列場所からPM6:00から秩父神社へ一旦集合し、それぞれ順次、最終集結場所の《御旅所》まで巡行する。それまでは屋台の点検や最終調整に余念がない

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09*祭り衣装:秩父神社にて*屋台の乗り手や曳き手たちはカラフルな祭り衣装で着飾っている。巡行する6基の屋台それぞれの衣装を纏っている。この祭り衣装は《宮地屋台》であるが、屋台の飾りマークと同一でなかなか洒落ていた。首から下の衣装部分だけを撮影したら、「顔も入れてよ!」と催促された。

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10*御旅所のアトラクション:秩父公園御旅所にて*最終屋台集合場所の御旅所はPM6:30から観覧席券を持っていない人たちは入場できない。一般客の締め出された広場の特設ステ-ジでは、PM8:00過ぎの屋台入場まで《お神楽》や《大太鼓ショー》などが演じられていた。

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11*太鼓演奏:秩父公園御旅所にて*各町内会や秩父高校の生徒たちは、この夜の演奏を目指して練習を重ねたのであろう、じつに見事なショーを演じてくれていた。こうした《祭りの脇役たち》が祭りを盛り上げてくれる。

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12*秩父神社お神輿入場:秩父公園御旅所にて*秩父夜祭は《秩父神社》の例大祭であり、笠鉾・屋台の巡行に先立って、《神幸祭》の行列が先頭入場する。その最前列がこの《榊神輿》である。行列の最後に《神馬》二頭が何の予告もなく飛び出し走り去って行った。

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13*宮地屋台が行く:団子坂にて*秩父夜祭で巡行するのは、笠鉾2基、屋台4基の計6台である。いずれも絢爛豪華な山車で見事な彫刻と絨毯で着飾ったもの、しかも、いずれの山車とも《国指定重要有形文化財》である。これらの山車は屋台から「“ドドンコ“ドドンコ”」と勇壮な秩父屋台囃子が打ち鳴らされてくる。

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14*屋台と打ち上げ花火:御旅所にて*各屋台が団子坂を上り始めると、それに合わせて打ち上げ花火が上がる。団子坂は見物人の歓声と曳き手の掛声、花火音、屋台囃子などで最高の盛り上がりを見せてくれる。

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15*屋台と打ち上げ花火:御旅所にて*打ち上げ花火は尺玉を含め約5700発も打ち上げられる。この《秩父夜祭花火》は、日本では数少ない冬の花火大会として全国的に知られている。艶やかな山車と上空で炸裂する花火との取り合わせは、ひときわその場を華やいだものにしてくれる。

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16*中町屋台綱曳き隊:団子坂にて*秩父公園・御旅所に入る直前の難所《団子坂》は斜度約30度で距離はおよそ40m~50mほどであろうか。この急坂を重さ十数トンもある山車を引き上げる。山車の数か所から張られたロープを200人近い《曳き手》が引きあげる。山車の上部からのロープがあまり強すぎると山車は前につんのめってしまい、上がらないという。その曳き加減は大変難しいと言われ、何度も練習と経験を重ねてこないとスムーズには行かないであろう。

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17*中町屋台綱曳き隊:団子坂にて*曳き手の力を最大限引き出すのは、山車一番前に陣取った男たちで、いずれも力自慢の若者で占められている。全員スリップ止めの運動靴を履き、力を一点に集中出来るように掛声を掛け合っていた。

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18*中町屋台の囃し手:団子坂にて*この急坂を登りきるには途中2度ほどの休憩を取っている。曳き手のバランス指図や出発合図は、一番の年長者がしていたようであるが、「ホーリヤイ」と掛け声を掛けているのは、この薄化粧した《囃し手》である。

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19*本町屋台の曳き手の娘さん:団子坂にて*鉢巻、軍手に地下足袋を履き屋台の曳き綱を曳く女性につては、今でも、賛否両論あるが、最近では中近笠鉾以外の屋台では女性の曳き手が認められているという。たしかに、酒に酔って嬌声を張り上げるなどは祭り本来の洒落や粋とは程遠く邪道だとの意見もあるようだが、町中の男女が仲良く祭りに参加するのは見ていて微笑ましい。

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20*本町屋台が行く:団子坂にて*団子坂は急坂のため一挙には引き上げられない。途中、二度にわたる休憩では、はっぴに《達磨》とかかれた本町屋台の曳き手が車輪につっかえ棒を差し込み、屋台がずり落ちないようにコントロールする。曳き上げ再開は山車右最前列に立っているリーダーが合図を送る。

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21*中町屋台さいごの頑張り:団子坂にて*つっかえ棒を差し込んだ曳き手は屈み込んでじっと曳き上げ再開の合図を待つ。リーダーの合図と共に《囃し手》の掛け声がかかるとつっかえ棒を引き出して行く。

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22*御旅所でのひと休み:御旅所にて*団子坂を登り切り御旅所に到着すると各屋台はひと休みして後続の屋台を待っている。

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23*御旅所集合の上町屋台(右)と中町屋台(左):御旅所にて*御旅所で集合した屋台の周りを曳き手たちが囲み、それぞれ困難な曳行を振り返りながら談笑している。

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24*ひと休みの6基の屋台:御旅所にて*6基の屋台が集合すると御旅所では祭礼行事が行われ、その間、各屋台は持ち場に整列され、秩父神社の《神行祭》が終わるのを待つ。

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25*御旅所集合の下郷笠鉾(したごうかさぼこ):御旅所にて*秩父地方最大の鉾で、白木造りが特徴の笠鉾である。4300枚の飾り金具をつけ、通常は笠をはずして曳き廻される。高さ7m、重さ20トン。

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26*御旅所集合の中近笠鉾(なかちかかさぼこ):御旅所にて*総体黒塗りで彫刻で飾りつけられた宮殿風な造りは、端正で風格がある。通常は笠をはずして曳き廻される。高さ5・5m、重さ15トン。

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27*御旅所集合の宮地屋台(みやぢやたい):御旅所にて*秩父祭屋台のうち、最も古く、端正な形をしている。

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28*御旅所集合の中町屋台(なかまちやたい):御旅所にて*4台の屋台の中で一番大きな《鬼板》をつけている。

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29*御旅所集合の上町屋台(かみまちやたい):御旅所にて*4台の屋台の中で一番大きな《屋根》をのせている。

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30*御旅所集合の本町屋台(もとまちやたい):御旅所にて.*宮地屋台と共に古式な姿を残している。なお、これら4基の屋台の高さは6・5m~6・7m、重さは約12トンから5トンだそうである。

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31*宮地屋台の後幕:御旅所にて.*宮地屋台の後幕は中国の想像上の霊獣《猩々:しょうじょう》でよく目立つ。

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32*中町屋台の水引幕:御旅所にて*水引幕の亀は妙見菩薩を表わしている。後幕の《海魚》も見事である。

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33*上町屋台の後幕:御旅所にて*後幕の《鯉の滝昇り》は豪華で迫力がある。水引幕の唐獅子も見事である。

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34*本町屋台の後幕:御旅所にて*後幕の中央に《大達磨の刺繍》が目立つことから《ダルマの屋台》とも言われている。
なお、これらの屋台6基は御旅所の祭礼行事が終わると団子坂を《曳き下ろし》で帰って行く。私はこの会場に午後11時過ぎまでしか撮影していなかったので、その様子を見ていないが、計4本の綱に曳き手が腰を降ろしてつかまり、バランスを取りながらゆっくりと下って行くという。団子坂を下り、見物客も既にいなくなった夜道を笠鉾・屋台が提灯・雪洞に明かりを灯してそれぞれの町内に帰って行く・・・。こうして、冬の星空の下、祭りは終焉を迎える。笠鉾・屋台が各自町内の収蔵庫に到着するのは午前2時過ぎになるという。

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35*秩父夜祭新聞記事朝日朝刊2008-12-4*祭り翌朝の朝日新聞では、《冬の華 満開 秩父夜祭》との見出しで社会面に大きく記事が掲載され、「・・・最後の難所の急坂(団子坂)を屋台囃子(ばやし)と約5700発の花火に励まされて曳き上げられると祭りは最高潮に達した」と報道されていた。  《完》
   
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by chusan8611 | 2008-12-06 15:33 | 日本の風景