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還暦を機に始めた撮影トレッキングに行ったネパールヒマラヤ・パキスタンカラコルム・ヨーロッパアルプス・日本アルプスなどの山岳写真のほか内外の風景写真を掲載しています。


by chusan8611
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(53)ゴーキョ・ピーク:トレッキング紀行2003

CHUSANの写真ブログ《 感動発信! 感動共有! 》
NO53:ゴーキョ・ピーク:トレッキング紀行2003

山好きな人たちならば、「生涯一度はエヴェレスト(英語名=中国語:チョモランマ・ネパール語:サガルマータ) Mt Everest 8848mを見てみたい」との願望があります。

そのエヴェレストの雄姿を真近に眺望できる展望台として、ネパール側では、エヴェレスト街道にある《カラパタール・5545m》や、《ゴーキョ・ピーク:5483m》の二か所があります。中国・チベット側では、ロンブク氷河上のチョモランマBC5200mになります。いずれも、5000mを超える高度がありますので、高山病に悩まされながらの登頂になります。

私がゴーキョ・ピークに行ったのは2003年8月でした。ゴーキョに近いゴジュンバ氷河の辺(標高5000m)に咲く《青いケシ:ブルー・ポピー》を撮影しながら、ゴーキョ・ピークに登ろうという計画でした。《青いケシ》は7月中旬から8月上旬にかけてしか咲かない幻の花です。

この時期のヒマラヤはモンスーン(雨期)で、雨を覚悟で出かけましたが期待通り?、往きのルクラ行飛行機が霧で飛行中止(5日間)となり、帰りにチャーターしたシャンボチェ~カトマンズのヘリコプターも濃霧のため一週間も飛び立てず、行き帰りで約二週間も足止めをさせられ、一か月もかかる撮影行となりました。

しかし、カトマンズ(出発地)では、一般観光では行けない場所の撮影もできたし、シャンボチェ 3800m(エヴェレスト街道&ゴーキョ・ピーク登山基地)では、霧のお花畑の撮影に一週間も費やす贅沢な経験をしました。このグログは、そんな想い出のある撮影紀行です。

2009-9-15  加藤忠一記

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01*カトマンズ空港到着:カトマンズ国際空港にて*エヴェレストなど《ネパール・ヒマラヤ》の山域に入山するには、ここ、カトマンズ国際空港が玄関口になる。日本から来る場合、関西空港から「ロイヤル・ネパール航空便」でタイ・バンコック国際空港経由となる。カトマンズ近くになると右窓にヒマラヤ東端の《カンチェンジュンガ山群》や《マナスル山群》、さらに《エヴェレスト山群》などなつかしい山群が次々と目に入ってくる。カトマンズ空港に到着すると、ここ特有の何とも言えない《臭い》が漂う。その《臭い》を嗅ぐと「また、ヒマラヤに来たな!」と不思議に落ち着くことがある。

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02*ホテル・ヒマラヤでの休息:ネパール・カトマンズ市内にて*通常のスケジュールでは、定宿の《ホテル・ヒマラヤ》に一泊の後、撮影地に出発となる。しかし、この時(7月中旬)はモンスーン(雨期)のため、天候が悪く(濃霧)、ルクラ行きの飛行機が欠航続きで、一週間も足止めをくらってしまった。

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03*カトマンズ市内散策:ネパール・ボウダナード寺院にて*一週間もの間、ホテルと空港を往復するが、欠航が決まると仕方なく《市内ブラブラ散策》となる。おかげで、カトマンズ市内の観光地は何回も見ることになるが、珍しい被写体を発見することもある。この写真の寺院は、直径27mの世界最大級のストゥーバ(仏塔)を擁したチベット仏教(ラマ教)の寺院である。シェルパ族などの仏教徒にとってカトマンズ第一級の聖地であり、礼拝者が絶えることはない。

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04*パシュパティナード寺院の葬式場:ネパール・パシュパティナード寺院にて*パシュパティナード寺院はネパール最大のヒンズー教寺院で寺院裏手のハグマティ川には《ガード》といわれる火葬場がある(写真参照)。ハグマティ川は、インド・ガンジス河に注ぐ《聖なる川》である。この川沿いに設置された火葬場で死者の遺体は火葬されるが、川向うに造られた《観覧席?》で火葬の様子を見ることが出来る。私も何回となくその様子を観覧したが、何とも言えない《臭い》と《雰囲気》で、人の死を身近に実感してしまう。火葬後の《灰》などは、そのまま川に流されるが、そのすぐ近くでは、人々が《沐浴》しており、《死生観》の違いなどを見せつけられる。

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05*ルクラ飛行場到着:ネパール・ルクラ2800mにて*ゴーキョ・ピーク入山は、カトマンズから飛行機利用(50分)が一般ルートである。到着空港の《ルクラ飛行場》はヒマラヤの登山基地である。エヴェレストなどへの登山隊は《ルクラ》からそれぞれの《ベースキャンプ》へスタートする。

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06*ポーターへの荷物仕分け:ネパール・ルクラ2800mにて*ルクラでは先発したシェルパやポーターたちが出迎え、すぐに運搬荷物の仕分けがはじまる。カメラ機材なども、それぞれの担当ポーターによって仕分けされる。今回の撮影行は、テント泊とロッジ泊であるが、ロッジ泊も食事は作るので、宿泊資材や食糧などでポーターを7名雇う(その他、シェルパ・コック・キッチンボーイやカメラポーターなどで総勢15名を雇う。我々一行5名を入れると《キャラバン隊》は総勢20名である)。

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07*ナムチェバザール目指して出発:ネパール・ルクラ2800mにて*荷物の仕分けが終わり、一休みの後出発となるが、われわれは、水筒や着替えなど詰めたリック一つとトレッキング・ポールだけの軽装での出発である。

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08*吊り橋を行く:ネパール・ハンガル村3100mにて*ルクラからナムチェバザールへは、ドゥート・コシ川沿いを遡るが、この川に架かった《吊り橋》を何度も渡る。かなりの急流を下に見ながらの橋渡りは、《高所恐怖症》の私にとって辛いものである。

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09*大雨の道を行く:ネパール・ハンガル村3100mにて*エヴェレスト街道に入っても生憎の悪天候による大雨のため道も川になり歩くのも辛い。しかも、樹林帯通過のときは、《ズガ》という《山ビル》が容赦なく襲ってくる。

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10*ナムチェバザールを目指して:ネパール・パクディン3100mにて*ルクラからパグディンに一泊し、《シェルパの里》として有名なナムチェバザールを目指す。ナムチェバザールへはドゥート・コシ川沿いに坂道が続く。この川の流域に広がる谷間の部落などを見物し、部落の人たちと交流しながらのんびりと歩く。

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11*パクディンのロッジ・タシタキTasitaki:ネパール・パクディン3100mにて*ルクラ出発後5~6時間で宿泊地《パクディン》に到着する。ロッジは素泊まりで、食事は同行のコックが作ってくれる。キッチンボーイも食事のサービスをしてくれるので《殿様気分》である。ロッジは板製のベッドであるが居心地は悪くない。

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12*ナムチェバザールへの急坂を行く:ネパール・ナムチェバザール下3300mにて*ナムチェバザールへは全体に緩やかな上り坂であるが、ナムチェバザール直下は急な坂続きで相当にへばる。

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13*ナムチェバザール入り口:ネパール・ナムチェバザール3500mにて*ナムチェバザールはシェルパ族の里で入り口に大きな《チョルテン(仏塔)》がある。ナムチェバザールはエヴェレスト街道一の宿泊地で大きなバザールが開かれ、街道中から人たちが集まってくる。

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14*ナムチェバザールのロッジ街:*パール・ナムチェバザール3500mにて*シェルパはエヴェレストをはじめ世界各国の登山隊のガイドや荷物運搬をやり、その報酬で自分の「ロッジ」を建てるのが夢である。人気のシェルパには高額報酬が支払われ、それを元手にロッジ経営をするシェルパも多いという。

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15*夏祭り・ラプソ会場:ネパール・ナムチェバザール3500mにて*我々が訪問した7月中旬は、ナムチェバザールの夏祭り《ラプソ祭り》が開かれていた。ラプソは五穀豊穣と家内安全を祈るシェルパ族最大の祭りで、村中の人たちが参加して祝うという。

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16*ラプソ会場のシェルパニたちと共に:ネパール・ナムチェバザール3500mにて*今回の撮影ツァーには、特別ガイドとして知人の《ヒマラヤ観光》宮原社長が同行してくれた。宮原さんは、ホテルヒマラヤ(カトマンズ)やホテル・エヴェレスト・ビュー(シャンボチェ)の経営者として有名でご自身もエヴェレスト頂上直下まで登った経験がある登山家である。ここ、ナムチェバザールでもシェルパ族の長老にも友人が多く、何回もエヴェレストへ登頂したシェルパなども紹介してくれた。写真はシェルパ族の奥さんたち(シェルパニという)に祭り料理をご馳走になり記念撮影した時のスナップである。

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17*クムジュン村全景:ネパール・クムジュン峠3800mにて*ナムチェバザールで一泊してからゴーキョ・ピークへ出発する。途中、クムジュン峠でクムジュン村を一望する。クムジュン村はエヴェレスト初登頂者のニュージーランド人《エドモンド・ヒラリー卿》が寄贈した小学校やエヴェレスト診療所などがあるシェルパ族の部落である。

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18*クムジュン村の子供たち:ネパール・クムジュン3800mにて*ヒマラヤ・トレッキングでの出会いでの楽しみの一つは、子供たちとの交流である。我々を見つけて真っ先に駆けつけるのは子供たちである。純真無垢な笑顔を見れば、トレッキングの疲れも吹き飛んでしまう。

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19*イエティー(雪男)の頭部:ネパール・クムジュン3800mにて*クムジュン村最大の見世物は、イエティー(雪男)の頭部である。クムジュン寺院にガラスケースに鍵付きで厳重に?保管されている。真偽のほどは分からないが、《本物》と信じたい。《夢・ロマン》は壊したくない。

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20*モンラ峠のロッジ村:ネパール・モンラ峠4100mにて*モンラ峠はホテル・エヴェレスト・ビューから一日行程である。ここには数件のロッジがあり、われわれは写真下のロッジに素泊まり一泊をした。この峠はタムセルク(6627m)やアマダブラム(6812m)の展望台である。早朝にこれらの高峰が明け行くさまは絶景であり、いくつかの作品を撮影することが出来た(作品はブログNO 22:個展ヒマラヤ巡礼第一部:作品07「ヒマラヤへの祈り」、作品08「タムセルク6623m」、作品09「カンテガ6779m」参照)。

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21*マッチェルモ峠を行くポーターたち:ネパール・マッチェルモ4400mにて*モンラ峠からはドーレで一泊してからマッチェルモ(4400m)にて一泊する。この辺りは標高も高く、酸素不足で息切れがきつくなる。ポーターたちは大きな資材を背負いながら、この峠を通過して行く。

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22*シェルパ頭のラクパ・ツェリン:ネパール・ゴーキョ4900mにて*ゴーキョ近くなると歩行が辛くなり、サーダー(シェルパ)の《ラクパ・テンジン》が馬を用意してくれた。乗馬トレッキングはまさに極楽である。ラクパ・テンジンとは1996年7月のランタンコーラ撮影で一緒であり旧知の仲であるが、じつに気配りのある好青年である。

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23*ゴーキョの氷河湖畔:ネパール・ゴーキョ4900mにて*ここゴーキョ氷河湖はゴジュンバ氷河から流れ込んできた川で氷河湖が作られ、畔にはいたるところに黄色のサクラソウが群生し、ヤクたちが草を食んでいる。

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24*ゴーキョのヤク:ネパール・ゴーキョ4900mにて*最奥の地では資材の運搬やチーズ・バターなどの入手は《ヤク》に頼らざるを得ない。住民にとって《ヤク》は生活の糧である。

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25*岩場に咲くサキシフラガ・ササノィデス(ユキノシタ科):ネパール・ゴーキョ4900mにて*ゴーキョといえば《ブルーポピー(青いケシ)》が咲くことで有名であり、今回のメインテーマであるが、青いケシのほかに珍しい高山植物に出会うことが出来た(ブログでは《NO54ゴーキョ・ピーク花紀行2003》参照)。この《サキシフラガ・ササノィデス(ユキノシタ科)もその一つで、岩場にへばり付き見事な黄色い花を咲かせていた。冬には零下何十度にもなる極寒の岩場で生きる生命力に脱帽である。

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26*ゴーキョ・ピーク北斜面に群生のサクラソウ:ネパール・ゴーキョ4900mにて*4000mを超える水辺には黄色いサクラソウが群生している。ここゴーキョ・ピーク北斜面でも、斜面の沢伝いの流れに沿ってサクラソウが群生していた。

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27*ガレ場に咲く青いケシ:ネパール・ゴーキョ4800mにて*青いケシはガレ場に一輪ずつ咲いている。中国の巴朗山峠(4100m)の青いケシは4~5がまとまって咲いているが、ここゴーキョでは一輪で咲いている。シェルパの話では、近くに青いケシの種があるとそれを嫌い種は発芽しなという。なんと孤独な花であろうか。

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28*ゴーキョの氷河湖とロッジ村:ネパール・ゴーキョ5100mにて*ゴーキョにはゴジュンバ氷河から流れる川水で幾つかの氷河湖が出来ている。この氷河湖は《ドゥード・ポカリ》で湖面の色合いが大変に美しい湖である。画面やや中央上部は宿泊ロッジである。

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29*酸素を吸いながら:ネパール・ゴーキョ5000mにて*この地は標高が高く、平地に比べ酸素が五分の二程度であり、少し早足で歩くとすぐに息切れする。高山病になったら高度を1000m下げるか、十分な酸素を吸うことだと言われとぃる。宮原さんが酸素ボンベを用意していてくれたので、ゴジュンバ氷河を見に行くときに酸素実験をしてみた。酸素を吸いながら歩くとなんと気分爽快なことか。早速、夜寝る前に一服してから寝ることにする。

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30*濃霧のゴーキョ・ピーク斜面を行く:ネパール・ゴーキョピーク5200mにて*ゴーキョコースの最大の目的は、なによりも、ゴーキョ・ピーク(5400m)の頂上に立つことである。ゴーキョから頂上まで4時間をかけて登る。5000mを超えると酸素不足で、一歩登っては一休みが続く。カメラ機材はポーターが背負ってくれるのでトレッキングポール一本の身軽さであるが、息も絶え絶えである。

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31*ゴーキョ・ピーク5400m頂上にて*やっとの思いで5400mのゴーキョ・ピーク頂上に立つ。頂上での真っ赤に染まるエヴェレスト・Mt Everest(8848m)やマカルー・Makalu(8463m)、チョオユー・Cho Oyu(8201m)などヒマラヤン・ジャイアンツを撮影したかったが、生憎の濃霧と降雪で、途中から吹雪模様となったため、頂上の出の記念撮影を済ませてから、早々に下山となった。

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32*ポーターと共に:ゴーキョピーク5300mにて*ゴーキョ・ピークの頂上に立てたのはポーターのお陰である。思いカメラ機材を背負い、私を励ましながら、「ビスタリー! ビスタリー!(ゆっくり! ゆっくり!)」と大きな声をかけてくれた。

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33*シャンボチェ飛行場:シャンボチェ3800mにて*ゴーキョからシャンボチェに帰り、《ホテル・エヴェレスト・ビユー》に一泊後、チャーターしたヘリコプターでカトマンズまでフライトの予定であったが、早朝からの濃霧のためヘリコプターが離陸できなくなってしまった。

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34*シャンボチェ飛行場停滞のヘリコプター:ネパール・シャンボチェ3800mにて3800mにて*毎朝午前5時に起床し、ホテル・エヴェレスト・ビユーからシャンボチェ飛行場まで一時間をかけ出かけるも、毎日、濃霧と悪天候のため、ヘリコプターは離陸不能であった。その間一週間、毎朝、ホテルと飛行場との往復である。昼間は付近の高山植物撮影をしたり、小動物を追いかけて時間つぶしをした。ヘリコプターが早朝の一瞬の晴れ間をついて離陸でき、カトマンズへ飛行できたのは一週間後であった。

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35*ゴーキョピーク登頂を終えて(ホテル・エヴェレスト・ビュー玄関前):ネパール・シャンボチェ3800mにて*今回の撮影ツアーを支えてくれたシェルパや、ポーターたちは、ホテル・エヴェレスト・ビューに帰ってきてすぐに、徒歩にてカトマンズや出身部落に帰るが、その前に記念撮影をした。彼らは実に気立てが良く働き者で、いつも笑顔で接してくれた(写真左下が私で、その右が宮原さん)。 《完》
by chusan8611 | 2009-11-15 11:18 | ヒマラヤ・トレッキング