(57)ディラン&ラカポシ:トレッキング紀行2001
2009年 11月 19日
CHUSANの写真ブログ《 感動発信! 感動共有! 》
NO57:ディラン&ラカポシ・トレッキング紀行2001
若いころに、北杜夫(精神科医・医学博士・芥川賞受賞作家)の「白きたおやかな峰」という小説を読み、カラコルム山脈に聳え立つ《ディラン峰・7257m》のことを知り、いつか訪ねたいと思っていました。
「白きたおやかな峰」は北杜夫が1966年にカラコルム山脈のディラン峰に医師として登山隊に随行した体験に取材した小説(新潮社出版)です。この小説の《あとがき》(私は本を読む場合《あとがき》から読み出す癖があります)では、精神科医であった北杜夫に登山隊随行の要請があり、「登山隊医師といえば通常は内科医か外科医であり、精神科医など聞いたことがないので断ったが、医師であれば問題ないだろうということで同行した」と述べています。
同行に至る経緯が面白く思わず引きずり込まれて読みふけりましたが、ディランのベースキャンプをあずかりながら、登山隊とのやりとりやディランの稜線変化などその描写が素晴らしく、一気に読んでしまった思い出があります。
この小説を読んでから《カラコルム山脈》に興味を持ち始め、写真集や登頂記録を読み漁り、名峰《ラカポシ・7788m》や山麓の大河《インダス河》を知るようになりました。
ディラン・ラカポシへの撮影トレッキングは2001年7月にヒマラヤ観光から話が飛び込み出かけたものですが、天候にも恵まれ、期待以上の素晴らしい撮影行でした。パキスタンに入国するのも、この時が初めてでしたが、イスラム教の人たちとの出会いや交流も想いで深いものとなりました。ブログ写真を投稿しますのでご高覧下さい。
2008-11-18 加藤忠一記
01*パキスタン入国:パキスタン・イスラマバード国際空港にて*パキスタンのカラコルム山脈に入るには、成田空港からパキスタン航空便で首都:イスラマバードに入国する。パキスタン航空の機内では《コーラン》が放送され、スチワーデスに聞くと「無事に飛行できるように祈っているのです」とのこと。最初から「これはえらいところに行くな!」との思いであった。
02*果物の露天商:パキスタン・マンチェラバザールにて*この青空市場には近郊からの買い物客で賑わっていた。この時期(7月中旬)は果物が豊富で、ウリや桃、スイカなどを食べてみたが、以外に甘く、値段の安さにもびっくりである。
03*ナンを焼く:パキスタン・マンチェラバザールにて*ここの主食は小麦粉の焼きパン《ナン》である。昼間の気温も高く、保存食として食用されているが、食べてみると塩味がして美味しい。
04*飾り物の売り子:マンチェラバザールにて*パキスタンは音も大きいが色も派手な国である。この売り子は派手な飾り物を大きな声を張り上げて売りまわっていた。
05*小型タクシー:パキスタン・マンチェラバザールにて*自動車の派手な飾り物も驚きである。この小型貨物車を改造したような《小型タクシー》の運ちゃんも誇らしげである。
06*超満員の乗合バス:パキスタン・マンチェラバザールにて*ガイドの話によれば乗客は飾り物の派手なバスに好んで殺到するという。日本でこんなバスが走ったらどんな反応があるだろうか。乗車拒否は間違いあるまい?
07*派手なトラクター:パキスタン・マンチェラバザールにて*こんな派手なトラクターを見せつけられると、派手さは《人集め》という説には納得できない。派手な車への飾り付けは、《人集め》と納得していたが、トラクターを見るとあやしくなってきたが、ガイドに質問する機会がなかった。
08*トラックの飾りは芸術品:パキスタン・マンチェラバザールにて*トラックの飾りの派手さは、まさに《芸術品》である。それにしても飾り付けに相当な費用が必要であろう。
09*カラコルム・ハイウエィを行く:パキスタン・ギルギッド郊外にて*一台のトラック野郎が大きなエンジン音を響かせてナンガパルバットの見える峠を駆け上ってくる(写真上の雪山はナンガパルバット峰)。
10*大河インダス川を遡る1:パキスタン・ペシャム郊外にて*大河インダス川はパキスタン最大の河で、アジア大陸では3番目に長い。その水源はチベットの台地から始まり、最後にパキスタンの港都市カラチの近くのアラブ海に注いでいる。 この大河は多くの重工業を支えて、パキスタンで飲料水の主な供給源となっており、重要なライフラインとなっている。
11*大河インダス川を遡る2:パキスタン・ペシャム郊外にて:*インダス川沿いに敷かれたカラコルム・ハイウエィはパキスタンから国境のクンジュラブ峠を経て中国に至る幹線道路であるが、道路の両側は絶壁と目もくらむような崖下の連続である。おまけに未舗装道路が多く、雨が降ると崖崩れに襲われる。2~3年前のパキスタン大地震では、いたる所が大きく崩れ落ち通行不通が続いた(写真左下の大きな岩はいまにも崩れ落ちそうであった)。
12*インダス川ジャンクション:パキスタン・ギルギット郊外にて*この台地はヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、ヒンドゥークシュ山脈の交叉地で、その標識銅版(写真左下)が置かれている。写真中央奥にカラコルム山脈が見えるが、左奥がヒンドゥークシュ山脈、右奥がヒマラヤ山脈である。なお、写真中央左の川がギルギッド川(その上流はフンザ川)、右の川がインダス川本流である。
13*ポーターとの合流:パキスタン・ミナピン村にて*ギルギットにて一泊後、ギルギット川・フンザ川を遡り、《ミナピン村》に到着、ここでポーターたちと合流し、荷物の仕分け、担当ポーターの選定作業が行われる。
14*ミナピン村のポーター:パキスタン・ミナピン村にて*このミナピン村で20人を超えるポーター(テント・食材・調理資材・カメラザックなど運ぶ)を雇うが、農繁期のため少年ポーターも雇い入れる(写真左の少年ポーターは調理用のニワトリを持っている。右端の老人ポーターは私のカメラポーター「フセイン」である)。
15*ミナピン村全景:パキスタン・ミナピン村にて*荷物仕分け後、タカファリBC(ベースキャンプ)目指し出発する。途中、振り返るとミナピン村が見渡せた(写真左の川はミナピン川、右砂地にタカファリBCへのルートが見える)。
16*ミナピン村の秋の収穫:パキスタン・ミナピン村にて*この時期は小麦の収穫期で忙しい。また、アンズの収穫を終え、それを石造りの小屋の上で乾燥させている。
17*アンズ干しの大石:パキスタン・ミナピン村にて*アンズはミナピン村の特産物で村の大きな現金収入となっていて、村の各農家が栽培しており、この時期はアンズ干しに忙しい。平らな石はすべてアンズ干しに利用されている。
18*ミナピン氷河下流の橋:パキスタン・ミナピン村にて*ミナピン村の村はずれに、ミナピン氷河から流れ出したミナピン川に小さな橋が架かっている。氷河から流れ出ているので白濁した急流である。
19*ミナピン氷河下流の氷塊:パキスタン・ミナピン村にて*ミナピン氷河から流れ出した水がどんな味をしているか飲んでみると、ミネラルを含んでいるのであろうか、冷たくてまろやかな味がした。川辺をよく見ると、澱みの所に氷塊がキラキラと輝いているのを発見した。
20*テント場の《エーデルワイス》の大群落:パキスタン・ハバクンド2800mにて*第一日目はハバクンドでテント泊となる。この草原は高山植物が満開で、どこを見てもビッシリと《花の絨毯》である。とくに、エーデルワイスが群生している。ポーターたちはそのエーデルワイスの上にテントを張っている。「エーデルワイスの上ではまずいのでは・・」と言えば、「ほかに空き地もないし・・、どうせ小動物に食べられるし、テントを張っても来年は花は咲きますよ!」と澄ましげに答えが返ってきた。
21*テント場色とりどりのお花畑:パキスタン・ハバクンド2800mにて*テント場付近は、まさに、「《花の桃源郷》の感あり!」である。
22*タカファリBCへの道1:パキスタン・ハバクンド3000mにて*ハバクンドからタカファリBCへは急な上り坂が続き、息切れがしてくる。キャンプの荷物を背負わせた《ロバ隊》が続く。
23*タカファリBCへの道2:パキスタン・ハバクンド3000mにて:*ポーターたちは、我々のカメラザックを背負ってゆっくりと登ってくる。はるか下方にミナピン氷河が見えてくる。
24*タカファリBCのテント場:パキスタン・タカファリBC3500mにて*タカファリBC3500mはミナピン氷河真下に見える草原に位置し、ディラン7257mやラカポシ7788mがすぐそばに屹立している。先発のポーターたちが個人テントや食堂テント、トイレテントなどを設営して我々を歓迎してくれた。ここに二泊して、朝晩のミナピン氷河や名峰ディラン、ラカポシ、さらに台地に咲く色とりどりの高山植物を撮影した。
25*大彩雲の出現:パキスタン・タカファリBC3500mにて*食堂テントで昼食中に急に外が騒がしくなった。飛び出して切るとディラン方向の上空に彩雲が出ていた。折からの中天の空に、大きな彩雲が龍のごとく踊りだしていた。あわててカメラを取り出し、何枚もシャッターを押し続けた。
26*ミナピン氷河:パキスタン・タカファリBC3500mにて*ラカポシ峰からはミナピン氷河が流れ出し、クレパス(割れ目)やセラック(氷柱)がいたるところに見え隠れしている。
27*ミナピン氷河のセラック帯1(氷塔群):タカファリBC3500mにて*ベースキャンプ・キャンプ地の台地に立つと、真下にミナピン氷河のセラック帯(氷塔群)が圧倒的な迫力で迫ってくる。光線具合で青白く光ったものも見え隠れしている。
28*ミナピン氷河のセラック帯2(氷塔群):パキスタン・タカファリBC3500mにて*セラック(氷塔)の高さは、高いもので20m~30mほどもあろうか。全体的に黒ずんで青みがかっている。テントで寝ていると、夜中に、このセラック(氷塔)が“ドーン,ドーン”と大きな音を立てて崩落し、びっくりして何度も目を覚まされた。
29*夜明けのディラン7257m:パキスタン・タカファリBC3500mにて*ベースキャンプ・キャンプ地の左後方にはディラン7257mが聳え立ち、優美な山容が見える。とくに、朝日があたり始めると山稜がピンク色に染まり始める。
30*明け行くディラン稜線:パキスタン・タカファリBC3500mにて*この朝のディランは頂上付近が厚い雲に覆われ、そのままついに頂上を見ることが出来なかった。
31*烈風のディラン稜線:パキスタン・タカファリBC3500mにて*ディラン上空は偏西風(ジェット気流)が吹き荒れているのか、その稜線には、何筋もの筋雲が飛来していた。
32*雲舞うラカポシ7788m:パキスタン・タカファリBC3500mにて*この朝の名峰ラカポシも、盛んに頂上上空付近は幾筋もの雲に覆われ、こちらは時々、頂上が見え隠れしていた。
33*朝のラカポシ7788m:*しばらくすると、ラカポシ頂上付近の雲がディラン方向に流れ出し、頂上付近が晴れてきた。ラカポシは、カラコルムの名峰に相応しく、優美な曲線を描いていた。
34*スナップ(ハバクンド2800mにて)*今回のディラン&ラカポシへの撮影ツアーは、タカファリ・ベースキャンプでヤクや羊の夜間訪問などハプニングや、大規模な彩雲出現など楽しい撮影行であった。とくに、氷河の表情をいろんな角度から撮影できた。氷河と言えば、通常、ヒマラヤ山脈では標高5000mを超えないと見られないが、ここカラコルム山脈では2500mくらいから見ることが出来る。機会があればもう一度訪ねたいが、最近のパキスタンは、大地震の復興状況や政情不安、テロ情勢などから、当分の間、入国出来そうもない。 《完》
NO57:ディラン&ラカポシ・トレッキング紀行2001
若いころに、北杜夫(精神科医・医学博士・芥川賞受賞作家)の「白きたおやかな峰」という小説を読み、カラコルム山脈に聳え立つ《ディラン峰・7257m》のことを知り、いつか訪ねたいと思っていました。
「白きたおやかな峰」は北杜夫が1966年にカラコルム山脈のディラン峰に医師として登山隊に随行した体験に取材した小説(新潮社出版)です。この小説の《あとがき》(私は本を読む場合《あとがき》から読み出す癖があります)では、精神科医であった北杜夫に登山隊随行の要請があり、「登山隊医師といえば通常は内科医か外科医であり、精神科医など聞いたことがないので断ったが、医師であれば問題ないだろうということで同行した」と述べています。
同行に至る経緯が面白く思わず引きずり込まれて読みふけりましたが、ディランのベースキャンプをあずかりながら、登山隊とのやりとりやディランの稜線変化などその描写が素晴らしく、一気に読んでしまった思い出があります。
この小説を読んでから《カラコルム山脈》に興味を持ち始め、写真集や登頂記録を読み漁り、名峰《ラカポシ・7788m》や山麓の大河《インダス河》を知るようになりました。
ディラン・ラカポシへの撮影トレッキングは2001年7月にヒマラヤ観光から話が飛び込み出かけたものですが、天候にも恵まれ、期待以上の素晴らしい撮影行でした。パキスタンに入国するのも、この時が初めてでしたが、イスラム教の人たちとの出会いや交流も想いで深いものとなりました。ブログ写真を投稿しますのでご高覧下さい。
2008-11-18 加藤忠一記
01*パキスタン入国:パキスタン・イスラマバード国際空港にて*パキスタンのカラコルム山脈に入るには、成田空港からパキスタン航空便で首都:イスラマバードに入国する。パキスタン航空の機内では《コーラン》が放送され、スチワーデスに聞くと「無事に飛行できるように祈っているのです」とのこと。最初から「これはえらいところに行くな!」との思いであった。
02*果物の露天商:パキスタン・マンチェラバザールにて*この青空市場には近郊からの買い物客で賑わっていた。この時期(7月中旬)は果物が豊富で、ウリや桃、スイカなどを食べてみたが、以外に甘く、値段の安さにもびっくりである。
03*ナンを焼く:パキスタン・マンチェラバザールにて*ここの主食は小麦粉の焼きパン《ナン》である。昼間の気温も高く、保存食として食用されているが、食べてみると塩味がして美味しい。
04*飾り物の売り子:マンチェラバザールにて*パキスタンは音も大きいが色も派手な国である。この売り子は派手な飾り物を大きな声を張り上げて売りまわっていた。
05*小型タクシー:パキスタン・マンチェラバザールにて*自動車の派手な飾り物も驚きである。この小型貨物車を改造したような《小型タクシー》の運ちゃんも誇らしげである。
06*超満員の乗合バス:パキスタン・マンチェラバザールにて*ガイドの話によれば乗客は飾り物の派手なバスに好んで殺到するという。日本でこんなバスが走ったらどんな反応があるだろうか。乗車拒否は間違いあるまい?
07*派手なトラクター:パキスタン・マンチェラバザールにて*こんな派手なトラクターを見せつけられると、派手さは《人集め》という説には納得できない。派手な車への飾り付けは、《人集め》と納得していたが、トラクターを見るとあやしくなってきたが、ガイドに質問する機会がなかった。
08*トラックの飾りは芸術品:パキスタン・マンチェラバザールにて*トラックの飾りの派手さは、まさに《芸術品》である。それにしても飾り付けに相当な費用が必要であろう。
09*カラコルム・ハイウエィを行く:パキスタン・ギルギッド郊外にて*一台のトラック野郎が大きなエンジン音を響かせてナンガパルバットの見える峠を駆け上ってくる(写真上の雪山はナンガパルバット峰)。
10*大河インダス川を遡る1:パキスタン・ペシャム郊外にて*大河インダス川はパキスタン最大の河で、アジア大陸では3番目に長い。その水源はチベットの台地から始まり、最後にパキスタンの港都市カラチの近くのアラブ海に注いでいる。 この大河は多くの重工業を支えて、パキスタンで飲料水の主な供給源となっており、重要なライフラインとなっている。
11*大河インダス川を遡る2:パキスタン・ペシャム郊外にて:*インダス川沿いに敷かれたカラコルム・ハイウエィはパキスタンから国境のクンジュラブ峠を経て中国に至る幹線道路であるが、道路の両側は絶壁と目もくらむような崖下の連続である。おまけに未舗装道路が多く、雨が降ると崖崩れに襲われる。2~3年前のパキスタン大地震では、いたる所が大きく崩れ落ち通行不通が続いた(写真左下の大きな岩はいまにも崩れ落ちそうであった)。
12*インダス川ジャンクション:パキスタン・ギルギット郊外にて*この台地はヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、ヒンドゥークシュ山脈の交叉地で、その標識銅版(写真左下)が置かれている。写真中央奥にカラコルム山脈が見えるが、左奥がヒンドゥークシュ山脈、右奥がヒマラヤ山脈である。なお、写真中央左の川がギルギッド川(その上流はフンザ川)、右の川がインダス川本流である。
13*ポーターとの合流:パキスタン・ミナピン村にて*ギルギットにて一泊後、ギルギット川・フンザ川を遡り、《ミナピン村》に到着、ここでポーターたちと合流し、荷物の仕分け、担当ポーターの選定作業が行われる。
14*ミナピン村のポーター:パキスタン・ミナピン村にて*このミナピン村で20人を超えるポーター(テント・食材・調理資材・カメラザックなど運ぶ)を雇うが、農繁期のため少年ポーターも雇い入れる(写真左の少年ポーターは調理用のニワトリを持っている。右端の老人ポーターは私のカメラポーター「フセイン」である)。
15*ミナピン村全景:パキスタン・ミナピン村にて*荷物仕分け後、タカファリBC(ベースキャンプ)目指し出発する。途中、振り返るとミナピン村が見渡せた(写真左の川はミナピン川、右砂地にタカファリBCへのルートが見える)。
16*ミナピン村の秋の収穫:パキスタン・ミナピン村にて*この時期は小麦の収穫期で忙しい。また、アンズの収穫を終え、それを石造りの小屋の上で乾燥させている。
17*アンズ干しの大石:パキスタン・ミナピン村にて*アンズはミナピン村の特産物で村の大きな現金収入となっていて、村の各農家が栽培しており、この時期はアンズ干しに忙しい。平らな石はすべてアンズ干しに利用されている。
18*ミナピン氷河下流の橋:パキスタン・ミナピン村にて*ミナピン村の村はずれに、ミナピン氷河から流れ出したミナピン川に小さな橋が架かっている。氷河から流れ出ているので白濁した急流である。
19*ミナピン氷河下流の氷塊:パキスタン・ミナピン村にて*ミナピン氷河から流れ出した水がどんな味をしているか飲んでみると、ミネラルを含んでいるのであろうか、冷たくてまろやかな味がした。川辺をよく見ると、澱みの所に氷塊がキラキラと輝いているのを発見した。
20*テント場の《エーデルワイス》の大群落:パキスタン・ハバクンド2800mにて*第一日目はハバクンドでテント泊となる。この草原は高山植物が満開で、どこを見てもビッシリと《花の絨毯》である。とくに、エーデルワイスが群生している。ポーターたちはそのエーデルワイスの上にテントを張っている。「エーデルワイスの上ではまずいのでは・・」と言えば、「ほかに空き地もないし・・、どうせ小動物に食べられるし、テントを張っても来年は花は咲きますよ!」と澄ましげに答えが返ってきた。
21*テント場色とりどりのお花畑:パキスタン・ハバクンド2800mにて*テント場付近は、まさに、「《花の桃源郷》の感あり!」である。
22*タカファリBCへの道1:パキスタン・ハバクンド3000mにて*ハバクンドからタカファリBCへは急な上り坂が続き、息切れがしてくる。キャンプの荷物を背負わせた《ロバ隊》が続く。
23*タカファリBCへの道2:パキスタン・ハバクンド3000mにて:*ポーターたちは、我々のカメラザックを背負ってゆっくりと登ってくる。はるか下方にミナピン氷河が見えてくる。
24*タカファリBCのテント場:パキスタン・タカファリBC3500mにて*タカファリBC3500mはミナピン氷河真下に見える草原に位置し、ディラン7257mやラカポシ7788mがすぐそばに屹立している。先発のポーターたちが個人テントや食堂テント、トイレテントなどを設営して我々を歓迎してくれた。ここに二泊して、朝晩のミナピン氷河や名峰ディラン、ラカポシ、さらに台地に咲く色とりどりの高山植物を撮影した。
25*大彩雲の出現:パキスタン・タカファリBC3500mにて*食堂テントで昼食中に急に外が騒がしくなった。飛び出して切るとディラン方向の上空に彩雲が出ていた。折からの中天の空に、大きな彩雲が龍のごとく踊りだしていた。あわててカメラを取り出し、何枚もシャッターを押し続けた。
26*ミナピン氷河:パキスタン・タカファリBC3500mにて*ラカポシ峰からはミナピン氷河が流れ出し、クレパス(割れ目)やセラック(氷柱)がいたるところに見え隠れしている。
27*ミナピン氷河のセラック帯1(氷塔群):タカファリBC3500mにて*ベースキャンプ・キャンプ地の台地に立つと、真下にミナピン氷河のセラック帯(氷塔群)が圧倒的な迫力で迫ってくる。光線具合で青白く光ったものも見え隠れしている。
28*ミナピン氷河のセラック帯2(氷塔群):パキスタン・タカファリBC3500mにて*セラック(氷塔)の高さは、高いもので20m~30mほどもあろうか。全体的に黒ずんで青みがかっている。テントで寝ていると、夜中に、このセラック(氷塔)が“ドーン,ドーン”と大きな音を立てて崩落し、びっくりして何度も目を覚まされた。
29*夜明けのディラン7257m:パキスタン・タカファリBC3500mにて*ベースキャンプ・キャンプ地の左後方にはディラン7257mが聳え立ち、優美な山容が見える。とくに、朝日があたり始めると山稜がピンク色に染まり始める。
30*明け行くディラン稜線:パキスタン・タカファリBC3500mにて*この朝のディランは頂上付近が厚い雲に覆われ、そのままついに頂上を見ることが出来なかった。
31*烈風のディラン稜線:パキスタン・タカファリBC3500mにて*ディラン上空は偏西風(ジェット気流)が吹き荒れているのか、その稜線には、何筋もの筋雲が飛来していた。
32*雲舞うラカポシ7788m:パキスタン・タカファリBC3500mにて*この朝の名峰ラカポシも、盛んに頂上上空付近は幾筋もの雲に覆われ、こちらは時々、頂上が見え隠れしていた。
33*朝のラカポシ7788m:*しばらくすると、ラカポシ頂上付近の雲がディラン方向に流れ出し、頂上付近が晴れてきた。ラカポシは、カラコルムの名峰に相応しく、優美な曲線を描いていた。
34*スナップ(ハバクンド2800mにて)*今回のディラン&ラカポシへの撮影ツアーは、タカファリ・ベースキャンプでヤクや羊の夜間訪問などハプニングや、大規模な彩雲出現など楽しい撮影行であった。とくに、氷河の表情をいろんな角度から撮影できた。氷河と言えば、通常、ヒマラヤ山脈では標高5000mを超えないと見られないが、ここカラコルム山脈では2500mくらいから見ることが出来る。機会があればもう一度訪ねたいが、最近のパキスタンは、大地震の復興状況や政情不安、テロ情勢などから、当分の間、入国出来そうもない。 《完》
by chusan8611
| 2009-11-19 20:44
| ヒマラヤ・トレッキング